ランキングという呪い。

清順監督日活最後の作品である。現在から見てみると『殺しの烙印』は結果的に監督のアクション映画との決別とも見える。アクション映画の一線を確信犯的に越えているのだ。ナンバー1を目指す殺し屋がアドバルーンで逃亡し、銃身にとまった蝶々によって狙撃を失敗する。その馬鹿馬鹿しさと殺しのランカーたちの凄惨な死に様のコントラスト。娯楽としての殺人は、ここにはなく、殺しそのものがナンセンスな喜劇であり、命は無意味なくらい 軽い。
殺し屋宍戸錠の目の前に現れる悪夢のイメージの連鎖は彼を現実から引き離していく。残された日常的なものは炊飯器だけだ。何故その匂いに執着するのか。それは遠い甘い記憶だから。それが孤独な男の唯一の拠り所 なのだ。貪るように米が炊ける匂いを嗅ぐ姿に、母乳に食らいつく男の幼児性が透けて見える。
『殺しの烙印』は映画の偶像であるガンマンを徹底的に痛めつけ、その仮面を剥ぐ。苦悩させ、怖がらせ、不様な素顔が晒される。殺し屋ランキングという呪いをかけられたランカーたちの行くつく先には何もありはしないのだ。終焉の地=無人のボクシングリングの上で迎えるのは寒々とした結末だ。何人も生きることの出来ない無の世界 。だが、そこにこそハードボイルドの極地があるのかも知れない。