ブルーレイ盤よりもDVD盤ジャケットですね。
 ふと、『ローリングサンダー』のクライマックス、作戦を遂行するのにあたり軍服に身を包むウィリアム・ディヴェインとトミー・リー・ジョーンズに、市ケ谷駐屯地へ「正装」で乗り込んだ三島由紀夫が重なる 。共に、失敗すなわち死、と覚悟し修羅場に向かったのだ。本作の脚本家ポール・シュレイダーは、三島由紀夫の伝記映画を製作するほどの研究者だが、ディヴェインとジョーンズに三島を重ねる意図はあるまい。売春宿襲撃はふたりにとってのローリングサンダー=爆撃作戦なのだ。遂行し成功させ帰還しなければならない。 復讐という殺人に人間性の復活の願いをかける求道者には、己を浄める「正装」がふさわしい。
 ポール・シュレイダーが、三島由紀夫のように右なのか、あるいは左か、論じる気もないしそもそもわからない。今ここで挙げたいのは『タクシードライバー』のトラヴィスだ。暇な時間をポルノで費やし、ひとり相撲で他人種を憎み、相反する政治思想を攻撃の的に選ぶ。健康な肉体をひとり愛でる彼には不老不死の誇大妄想さえ垣間見える。こういう狂った愚か者が魅力的に見えるのはどういうことだろうか。『ワイルドバンチ』三時間超オリジナル版を観たことを自慢する極度の映画オタクシュレイダーには破滅への「憧れ」が感じられる。憧れが重要である。今なお現役であるシュレイダーはサム・ペキンパーのような破滅型にはならなかった。なれなかったのだ。あるいは、なりたくなかったのかもしれない。フィルムノワールの研究家でもある彼には映画のなかのだけある破滅へ向かう者の物語こそ心引かれる 、憧れなのだと思う。
 『ローリングサンダー』のふたりの作戦は成功を収めるが、復讐の達成感はない。 ただ感情が死んでしまった彼らは殺し合いの時だけ確かに生きていた。友を引き起こして、家に帰ろうと告げるディヴェイン。その戻り道は長く暗いだろう。