警官嫌い。

2025年で放送開始50年。ディアゴスティーニも昨年の秋完結した。舞台はオイルショックから2年後の日本。ゲリラ撮影された繁華街の人混みは明るく賑やかだ。その繁栄からこぼれ落ち、世間からはぐれた犯人たちの執念深さは凄まじいものがある。『Gメン』においてはほとんどのエピソードで警察は犯罪者にも一般人にとっても憎しみの対象になっている。警察の不正についても度々描かれる。警察の腐敗を描くことが70年代社会派のトレンドであるが反権力が格好いい時代は終わりを迎えつつあったのかもしれない。地下に潜った「反権力」の活動家はもはや犯罪者でしかなく、平穏な暮らしを求める一般人にとってはゴキブリ以下で扱いである。しかしドラマ製作者側は「ゲリラ」に同情的で、単なる暴力集団としては描かれてはいない。この刑事ドラマの中で「権力=正義」への疑念が常に渦巻いている。そして、遂にそれは沖縄3部作において アメリカと日本の権力構造に向かって吐き出される。そこに描かれた憎しみが50年たった今でも有効であるのが悲しすぎるが。
事件が終わるとぶった切るように終わる作劇も『Gメン'75』の特徴であり効果的である。昨今の刑事ドラマのように、長々と分かりきったことを説教して語る鬱陶しさはない。原田大二郎の関屋がこと切れ崩れ落ちる瞬間、あるいは藤田美保子演じる響圭子が引き金を引く瞬間に物語が終わるからこそ、忘れがたい余韻が生まれる。オープニングで標榜するように、条理なき暴力世界を、道徳的批判を加えずに非情に描くハードボイルドの精神がここにある。