ジョヴァンニの『罪と罰』とは。
更正なんて言葉は、不寛容社会では、綺麗事の一言で片付けられてしまうかもしれない。偏見や差別の色眼鏡が更なる悲劇を生むだけなのに。綺麗事かもしれない理想すら描けない未來にそもそも価値はない。
 服役経験者ジョゼ・ジョヴァンニ監督の『暗黒街のふたり』は実話のような迫真性で観客に迫ってくる。ひとりの前科者アラン・ドロンの悲劇が切々と語られながら、保護司ジャン・ギャバンの慈悲なき社会構造へ怒りが静かに綴られる。                
   ジョゼ・ジョヴァンニにとっての罪と罰。
 罪をつくるのも社会であり、罰を与えるのも社会なのだ。『犯罪者』が生まれるのはすべて世の中のせいだと言うのではない。だが、新たな犯罪を産む問題を抱えているのは確かなのだ。死刑いう国家の殺人を、正義という綺麗事には絶対済ませないジョヴァンニの視線は厳しい。国家の無神経さに対する憤怒は深い。自由を奪われた経験のある者だからこそ、自由の意味や尊さを知っている。   
悲劇を高らかに唄うヒロイズムはここにはない。しかし更正を誓い、恋人を事故で失いながらも、その道を歩むドロンの姿は美しい。 更正は厳しい。だがそれは再び自由に生きることでもある。
 その更正の道も悪徳警部の策略によって閉ざされる。激情に突き動かされ、警部を遂に殺してしまうドロン。情状酌量すら認めれられず無感動に死刑が下される。彼も観客も心落ち着かせる暇なく、間髪を容れずにギロチンは滑り落ちる。彼は確かに死刑を受け入れた。いや、彼は更正するのを諦めたのだ。彼の弁明に誰も耳を貸さない。無関心の判事、陪審員の前で、彼は己のことはもう話さない。無駄だから。
 結局、刑務所の外も檻であったのだ。