シン・アンダーグラウンド。

『警視K』を全話視聴したのだが、上手く気持ちがまとまらないので、初監督作品『顔役』を観ることにした。このタイトルでも中身は刑事物なので『警視K』の原型だと思ったが、全く違う。一人称主観のカメラ視点が多用され、本物のヤクザ社会に飛び込み、賭場、性風俗店などアンダーワールドに突入する。生々しく輝く牧浦のカメラワークが素晴らしい。ただ本当に菊島隆三が書いたのかと思うくらいドラマがない。そういう映画ではないと言われればそうなのだが。最終作の『座頭市』のような、リアリズムがケレン味をおび、ダイナミックに映画が輝くことはない。
しかし、『警視K』に足りないものがここにある。街に巣くう悪に投げ手錠ではカタルシスは生まれなかった。『顔役』は巨悪を眠らさず、車ごと生き埋めにする。死刑執行を行う勝新太郎の姿は清々しい。豪放磊落に生きた勝新太郎にとって正義の在り方とは、座頭市的にシンプルなものだと思う。
この映画の中には歩道に捨てられたキューピー人形をはじめとする不吉な暗示が、フラッシュフォワード、フラッシュバック、モンタージュであちこち散らばっている。主人公の行動はある種呪われた想念に取り憑かれたようにも見える。
勝新太郎が演じ続けた座頭市はハンディキャップをバネに人知れず居合いの腕前を磨いた。研ぎ澄まされた感覚は健常者の五感を超えた。危険な予感の察知。心の中のフラッシュフォワードである。『顔役』は感覚で撮られた映画だ。監督の感覚であり、目には見えない、心の内の中の感覚の映像化であると思う。