ヤクザ版『生きる』

暴力団嫌いの黒澤明監督からすれば癌を患ったヤクザの「生きる」姿に興味は湧かないかもしれないが、『ちょうちん』の陣内孝則には『酔いどれ天使』の三船敏郎に負けないの輝きがある。
本作は円盤化されていないが、先日動画サイトにて分割ながらも久し振りに鑑賞できた。
中学生の頃にテレビ放送を観たきりなのは、おそらく陣内孝則扮する千秋を待ち受ける運命を知ってしまったからだと思う。ヤクザであろうとなんであろうと人間が病気で死ぬのはつらい。二度目の『ちょうちん』はもう初見の気持ちでは観れない。一挙手一投足さえ切ない。
記憶の中の陣内はもっと凄味があったイメージだったのだか、今観ると大物にはなれないがゆえに千秋は突っ張って生きているという印象を受ける。彼がサングラスを常にかけっぱなしなのは、自分の中にある優しさ、寂しさを隠し生きるためなのだ。そして、なにより彼は病の痛みを隠している。
この映画は、彼の病に触れないように周到に作られている。彼の体調を気遣う者はいない。僅かに石田えり扮する新子との出会いの場面、かがみこんで苦しむ千秋をいたわるシーンぐらいだ。これだって前のシーンで飲酒しているので誤魔化される。ラストシーンですら、彼の死は暗示的であり曖昧でさらり、と描かれてる。情報を入れずに観た場合、千秋の病にさえ気付かない人もいるかもしれない。
ヤクザ映画であるが、いやヤクザであるがゆえに彼のひたむきな「生きる」姿は心射たれるものがある。妹のために頭を下げ、浮気はされたものの石田えりに復縁を願うする千秋には人としての誠実さがある。バブル経済の時の製作なのだが、浮かれた空気感はなく、地に足のついた生活者に見えるのはそのためだろう。出所しカタギになった千秋は、無為な日々を送っていたが、ある時意を決してかつての子分たちのいるバーに立ち寄る。返ってきたのは冷たい仕打ちだが無駄に日々を過ごすよりはましだ。死ぬ前に顔を見たかった。そう思えるのだ。
抑制された語り口、スタイリッシュに貫かれた映像も素晴らしい。バイオリンの鮮烈な旋律が千秋の短い人生を情熱的に照らし出すようだ。海外の人にも観てもらいたい名作だと思う。