新宿鮫のほうが、副題扱い・・・。

脚本家荒井晴彦が、フィルムグラフィから外した点では不幸な映画である。製作に入っているフジテレビのチャラチャラした空気は映画にはない。フジとして気軽なエンターテイメントを望んだのだろが、シナリオではあらゆるものを呑み込む新宿を舞台にして地に足をついた一匹狼の刑事が描き出された筈である。その意を汲んだ滝田洋二郎監督による硬派な仕上がりは佐藤忠男が称賛しているくらいだ。しかし、荒井氏の意に沿わない出来だったようだ。
原作の冒頭、新大久保駅から新宿駅へ、そこから歌舞伎町まで恋人の晶のライブ会場に走る鮫島、バブル崩壊前の街の空気感が眩しい。映画はその数年後で、不況の時代なのだが、真田広之扮する鮫島にも、何か自身を走らせる 若さがある。小説は二作目の『毒猿』のほうが人気も評価も高いが、擬態された凶器が街を恐怖に陥れる、一作目の改造銃のアイディアは素晴らしい。映画版は今では使えないアレが映像化せれてそれだけでも存在価値がある。
しかし、この映画の残念なところは田中美奈子扮する晶である。色っぽさはあるのだが、彼女の歌っている姿が、自分自身の為に歌っているように見えないのだ。そこに犯人も、鮫島も惹かれていると思うのだが。金の為ではなく自分の為に歌う、そんな女は現実には存在しないのかもしれない。
『新宿鮫』シリーズは個人的には止まってしまっているが、晶は最新作において登場しないようだ。新宿が舞台の別シリーズ『狩人』においても大沢在昌は虚像だったバブル経済、その崩壊による人間のモラルの低下を糾弾している。晶はそんな世の中とはまったく関係なく輝く者でなければなるまい。そんな女が新宿にいる存在意義は大きいと思うのだ。