暴力喜劇。

高校生の時フジテレビ「ゴールデン洋画劇場」で放送された『代理戦争』のラスト、文太が熱い骨を握り締めるシーンを見た時、初めて『仁義なき戦い』が自分の胸の中に刻まれた。組長広能昌三を一人の人間として呼び覚ませた熱い痛み。沸き上がる怒りと哀しみが、心を打つ。
『仁義なき戦い』と旧来のヤクザ映画の違いはヤクザがいい方と悪い方に分けられていないところだ。こちらは基本的に全員悪党である。『頂上作戦』はその点ではまさに頂点だ。カタギの付け入る余地は無い。『代理戦争』は渡瀬恒彦以外は悪党といってしまってもいい。暴力団員であり凶暴でもあるが、親思いであり純粋である。それ故、観客に愛されるが、最終的に騙され命を落とす。広能は『広島死闘篇』の鉄砲玉山中にかつての自分を重ねる場面も見えたが、渡瀬恒彦に対しては親分子分関係以上のものは見えない。だが、その死を通して、昔の己を甦らせたと思う。となると、渡瀬恒彦の演じた倉元は重要な役割なのだが、『代理戦争』を真の名作にしているのは、その兄貴分西条扮する川谷拓三である。テレビ欲しさに泥棒をし、その詫びに手首を切り落とす。倉元のメフィスト的な立ち位置でありながら、彼に自分の情婦を寝取られる。臆病者がゆえに脅かされて仲間を売り逃亡する。どうしようもないチンピラなのだが、川谷拓三が演じるとユーモアが漂う。予定されていたアンニュイな荒木一郎だと『代理戦争』は今の形とは大分違うのではないか。暴力団員の非情さ、利己的な人間の醜さを黒い笑いで表現する川谷拓三によって暴力組織の駆け引きを描いた人間喜劇はより幅広いレンジを手に入れたと思う。日本映画屈指の群像劇が、ヤクザ映画から生まれたのだ。