野良犬のブルース。

「なぜ吠える なぜ暴れるか 」観客は惹句の問いを、世間のあらゆる縛りを嫌って生きるアウトサイダー菅原文太に向ける。同時にデタラメに暴れまわる姿は観る者を惹きつきられずにはいられない。何ものにも囚われない彼の激情が心に焼き付き、その死は友人を失くしたように寂しい。祭りの後の寂寥感が、吠えることも暴れることもできない現代人の心の中を吹き抜けていく。
歓楽街で育った文太にとって反抗は生き残る術だ。後を振り返っても何も生み出さない。今を生きることが全てなのだ。それは情婦渚まゆみも同様である。ふたりがむき出しの怒りをぶつけ合うのは、つまりは生を諦めていない証なのだ。不器用で無様な二人の愛を映す仲沢半次郎のレンズは、飛び散る汗にギラギラと輝く。綺麗ごとでできない魂の燃焼がここにある。
愛する女の死に突き動かされ斬り込む文太。刃が鮮血を飛び散りさせるその瞬間、彼の生が最高到達点で弾ける。激情にかられる文太の行動はおそらく作中最も人間らしい行為であり、それ故に感動的なのだ。親分である安藤昇を斬りつけ、蜂の巣にされボロ雑巾のように打ち捨てられる文太。何故安藤を斬りつけたのか。文太の気持ちはわからないが、安藤にとっては生涯消えない傷痕である。痛みがあいつを呼び起こすのだ。それはいわば野良犬のように生き散った「人斬り与太」が刻み込んだ墓碑銘なのである。