熱く青い夜に。
  愛と暴力。生と死。流血と落涙。光と影に獣たち、緒形拳・泉谷しげる・益岡徹の人間性が炙り出される。工藤栄一監督と織り成す仙元誠三のカメラワークは国産フィルムノワールのひとつの頂点だ。殺人の妄執に取り憑かれた益岡。破滅へ突っ走る麻薬中毒者泉谷。暴力と欲望の河に溺れまいと、曲がりなりにも正義を求めて街を泳ぐ刑事緒形。かたちこそ違うが、それぞれ不器用がゆえ一方通行に愛を求めてもがく者たちなのだ。良識や常識では割り切れないヒロインいしだあゆみをめぐる緒形、泉谷の三角関係。そこにいしだと泉谷との子供が加わり関係は常に歪んでいる。緒形は別に子供を嫌ってはいないのだ。むしろ好きだし、本心から仲良くなろうと思っている。ある程度歳をとれば誰の子供であろうと可愛がれるだろうが、それだけではないだろう。修羅の世界で生きる緒形は、自分とは似ていないからこそ愛せるのではないか。自分の子供ではないからこそ好きなのではないか。そう思うと、このどこまでも噛み合わない三角、四角関係が切ない。ドブのような生活から抜け出す為に緒形といしだは危険な賭けに出るが、犯人は仕留めたものの、囮として使った女は殺される。地の底まで堕ちる緒形拳。愛する女を殺され逆上して暴れる泉谷。その狂犬始末の命が緒形に下る。立てこもり場所で 対峙する二人。泉谷は自分の子供を盾にとっている。命の危機が迫る。拳銃を向ける緒形。この物語のクライマックスなのだが、カメラは建物の外観に切り替わり、銃声が轟く。個人的には引き金を引く瞬間にドラマがあると思う。だからそこを見たかったのだが。劇中の殺人事件は途中で解決し、残りでその 余波が描かれる特異な構成。上映時間のためカットされたのだろう、もったいない小林薫の使い方。偶然起きた本物の火事の撮影して描かれた為異様に生々しい泉谷の狂気は息苦しいほどだ。シナリオになかったエピローグは蛇足気味の指摘もある。作品全体のバランスが悪いのだが、それ故のいびつさが心に引っ掛かりまくる。工藤栄一監督の映画はいつも生き残った者の掟とばかりに、安らかな死より苛酷な生をしぶとく 図太く駆け抜けなければならないと提唱する。その姿勢が独特の映像美と共に惹き付けてやまない。