斬るとは何か。

偏愛している1本。この映画には非常にミステリアスだ。死が、性に結びついているように思える。愛する藤村志保の首を斬った天知茂はその供養に生涯を捧げる。雷蔵をほとんど男として慕う血のつがらない妹・渚まゆみは殺されてしまう。共に斬られた育ての父の仇を取り、流転の身になった雷蔵。その旅先では、身を挺して弟を助けた万里昌代が全裸でなますのように斬り捨てられる。彼が妻を娶らないのはこの三人の死のイメージが取り憑いて離れないからだ。俗世から離れ硬い殻に閉じ籠った彼には斬ることだけが世界の全てで、動乱の時代なんてまるで無関心だ。ストイックであればあるほど剣は鋭く研ぎ澄まされていく。雷蔵の目的はそれだけだ。そして彼の剣は遂に人体を真っ二つに斬るという究極の奥義にまで達する。その異常な境地に先はもう無い。雷蔵の全身を虚無感が突き抜ける。彼には己が産み出し共に滅びようとした邪剣しか残されていない。禁断のその邪剣で人を斬った彼は微かな錯乱に陥る。襖を 開けても開けても広がるのは、幻視のような無の空間である。無=死。物語のラスト、雷蔵は自らの腹を斬る。彼の意識の最後のイメージは女の裸体を伝う鮮血なのだ。死とエロス。彼の「斬る」という行為はそれに他ならないのだ。