「うつし世はゆめ 、夜の夢こそまこと」

戦前エログロナンセンスからヒッピー文化のサイケデリックなゴーゴークラブに転生した明智小五郎。残念ながら製作されたエピソードのほとんどが、乱歩の原作から引き出した恐怖や謎を現代都市風俗にうまく取り込めず激しい現実離れを起こし、結果プロットの弱さが露呈してしまっている。おそらくその問題を怪奇性やエロスでカバーしたのが松竹製作の天地茂版なのだろう。しかし25・26話は、現代こそがエログロナンセンスだと切ってみせる批評眼が生み出した傑作だと思う。この2話だけ明智小五郎役の滝駿介が髭ずらで登場、渋い雰囲気を漂わせて、それまでの作品世界の空気から一辺させている。
25話「殺人金魚」の斎藤晴彦は転がり込んだ遺産を資金に世の中を翻弄し嘲笑う狂人である。この早すぎた和製ジョーカーは 暇をもてあました挙げ句、膨れ上がった妄想を実行させる。そこが乱歩的か。都市伝説・下水道で育った巨大金魚がその狂人を喰らい、地上都市ではまた新たな狂人が生まれ彷徨う。常識を越えた展開が全編になされ、めまいがします。ただ、個人的は続く最終回26話こそ最高作だと思う。健全な人間を末期的な不治の病と偽りの診断を下し要人暗殺者に仕立てるメインプロットは風刺的だがナンセンスだ。重要なのは時を超えて続く恋と死神を描く作中の底に流れるストーリーである。26話の魅力はミステリーではない、幻想と怪奇の物語であることだ。クライマックスは歪んだレンズで語られ、その異世界効果がシンプルだが見事である。劇中殺人現場に度々現れる僧侶=死神の正体がわかる時 、視聴者は幻が現実を超えるのを実感すると思う。そして墓地に死神の錫杖の遊輪が響くラストシーンにきっと乱歩のあの名言が浮かべるはずだ。「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」。乱歩映像化作品でその言葉を思い起こさせてくれたのはこの作品だけですね。