盗まれるものとは。
 初めて観るはず、と思いながら、鑑賞。正確にはラストシーンだけ記憶に残っていて、多分BS録画失敗で最後だけ観たのだろうと思い込んでいた。今回最初から見てみて「あっ、この映画観たわ」ということに思いあたりました。
特に クライマックスの後、微かな違和感を残しながらも、ドナルド・サザーランドが平和な日常に取り戻したと思わせる あのシークエンス。既視感100%でしたね。観たことさえ忘れている映画は誰でも少なからずあるはず。今、パッと思いついたのはチャールズ・ブロンソンの『バラキ』で、中盤過ぎ ブロンソンの仲間の幹部がリンチを受けるところで既視感発動されました。恐らくネガティブな感覚が記憶から消去させるのだろう。数年前再見した『バラキ』は確かにつまらなかった。『ボディスナッチャー』はどうか。思い当たるふしもなくはない。実際、地味な映画だ。SFと謳いながら実体は渋いサスペンス映画だ。タイトルから「物体X」みたいなものを期待させるが泡人間と人面犬ぐらいしか出てこない。人々が規則正しく莢を抱えて歩くあまりにもシュールすぎる画づら。寝たらなんで複製されるのか納得がいかない等不満は今回ですら感じた。忘れられないラストシーンの印象は強烈なのだが。しかし2025年の世界、令和7年の日本では、この映画は全く違う表情 を見せる。作品中、地球人と「彼ら」を識別するのは微かに感じる違和感しかない。もっと言えば「彼ら」とは思想の違いしかない。「安全安心の楽園」ニューワールドへ引き込もうとする「彼ら」。規則を守り列を乱さず普段は大人しい「彼ら」だが、異分子は狂的なまでの密告対象だ。この映画恐ろしさは自分が変わってしまう恐怖ではなく、友人、恋人、知り合いどころか自分以外の地球人全体が、知らぬ間に入れ替わる恐怖である。そして、いっそそちら側に行った方が幸せなのだと誘惑してくる洗脳の 恐怖だ。劇中では寝ている間に身体から入れ替わるが、現代ではスマホだけで入れ替わるかもしれない。乗っ取りを企む者とは何者か。最終的に何をしたいかわからない。誇大妄想が膨れ上がります。オリジナルのドン・シーゲル版も先に観ていたので主役を務めたケビン・マッカーシーや シーゲル監督登場もうれしい。オリジナル『盗まれた町』はフィルムノワールとしての評価もあり、本作のマイケル・チャップマンも光と影のなかから異世界を造りあげることに成功している。余談ながら世間で人面犬が騒がれるのは、本作テレビ放送以後だと思うのだが 。化け物のいきなりのインパクトはなかなかですね。