さらば愛しき者よ

レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』をエドワード・ドミニクが映画化。カメラワークが素晴らしくマーロウがうなされる悪夢のイメージ映像は特筆に値する。マーロウを慕うアンをうまく事件関係者内にはめ込めたシナリオはうまいのだが、コンパクトにまとめた分 物語が広がらず 大団円においてはかえっていらぬごたつきを招いている。個人的には至近距離の銃火で眼を痛めるブラックユーモアに『ロンググッドバイ』での病院のやり取りの アイディアの源泉を見た。不満はあるがフィルムノワールの佳作である。
原作は『さらば愛しき女よ』という邦題なのだか、「女」を「ひと」と呼ぶと内容とそぐわないという意見がある。それはつまり「さらば愛しきオンナよ」はマーロウではなく死んでゆく大鹿マロイの言葉なのだ。
『さらば愛しき者よ』は江戸川乱歩が命名したタイトルであり、こちらのほうが中身に合っている。こちらだとマーロウにとって本当に愛しい者は、何かとなる。それはマロイである。あるいはこの題名だとそれぞれの人にとっての「愛しい者」との別れとも取れる。『さよなら愛しい人』では甘過ぎだと思うのだが。
『さらば愛しき者よ』の最大の魅力は大鹿マロイという時代遅れのギャングの愚かな純情にある 。プロットではない。チャンドラーは 長編二作目においてハードボイルドを新たなステージに引き上げるオリジナリティを探り当てた。 卑しき街の生と死のロマンである。マロイは探し求めた愛しき者に撃たれ死ぬ。だがそんな女もまた愛しき者の為死ぬのだ。 夢なき街をゆく夢想家マーロウを吹き抜けていく生と死。彼の詩的正義 が読者の孤独を癒してくれるのだと思う。