(^O^)/こんにちは!今日は雨が降ったり、熱い日が照ったりと台風天気そのものです。
 さて、今日はワーナー・ビショフというスイス人カメラマンが捉えた、占領下の日本の中から数点アップしました。
 ワーナー・ビショフのペンが日本で書いた主要ルポルタージュの一つは、「日本におけるアメリカの影響」でした。そこで彼は日本での日常生活をくわしく論じました。異文化がどのように発展し、どのような新しい表現をみせるのかを考えたのです。

田川寿美さんの「ひばりの花売り娘」1951年流行歌
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タイトルは古くからの家に住む家族 東京 1951
 しかし、屋根の隙間や床に敷かれたむしろから考えると、恐らく廃材を利用したバラックと考えられます。
筆者
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             足を洗う女 東京 1951



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紙芝居を見る子どもたち 東京 
1951






 昭和26年(1951)の出来事
 第1回NHK紅白歌合戦放送・日本初のプロレス力道山デビュー・日本銀行が500円札を発行・日米安全保障条約調印・度量衡法が廃止され、メートル、キロ
グラムを採用。ラジオ東京(現TBS)開局・日本航空設立、東京-大阪-福岡間が
                    営業開始・日本初の民放ラジオ局が開局・プロ野球初のオールスター・ゲームが開催・赤痢が大流行(死者1万4000人以上)・伊豆大島の三原山が大爆発・三共が日本初の総合感冒薬「ルル」を発売・後楽園アイスパレスが開場・大阪市営バスで日本初のワンマンカー運行開始
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紙芝居を見る女の子 東京 1951

 私は東京の北区志茂、最寄りの駅は赤羽という所で育ちました。1951年というと、私の生まれる3年前になりますが、紙芝居を見る子どもたちの情景はまったく同じものです。筆者





新商品・ヒット商品
 LPレコード(日本コロムビア)・携帯テープ式録音機 ショルダー(東京通信工業)・長柄カミソリ(三和刃物)・花王粉せんたく(花王石鹸)・風邪薬 ルル
(三共)・三菱色鉛筆 No850(三菱鉛筆)・フーセンガム(ロッテ)

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小学生 東京 1951



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            靴磨きの少年 東京 1951

以下 レポート― Generation X 
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台所に立つミチコ 浦和 1951 
 東京のある服飾学校に通う2000人の若い娘たちの中から、私が選んだのは、最も外国の影響―いや、アメリカの影響、と言っていい―を受けた若い日本女性であった。
 イイヌマ・ミチコは東京の裁判官の娘さんである。彼女は伝統的な教育と、戦後日本の社会経験のどちらも受けているので、ちょうど中間段階にいると言えるだろう。
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電話で話すミチコ 浦和 1951

 彼女は家では和服を着ている。―これが私には意外だった。しかし、ミチコは微笑むだけだ。「冬の寒い時だけですよ。夏はいつも『洋服』なんです。」と言う。それを鵜呑みにすることは私にできない。そこにはもっと深い理由があるだろう。彼女の住環境を見れば、典型的な和風木造住宅であり、スライドできる軽量の壁(フスマ)や藁製マット(タタミ)を敷き詰めたなどがある。そこへ古ぼけた西洋ミシンや、脚が長い椅子を置けば、どれだけバランスが崩れるだろう。





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    デッサンの授業 東京 1951

 ちなみに、日本の古くからの生活様式もモダンである。ひょっとしたら、今日私たちがこの集合概念のもとに表すことすべてよりも、もっとモダンかも知れない。


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電車を待つミチコ 神田駅 1951
 服飾学校へ通う、若い日本女性2人。パリ発の新しいものが大好きだが、家では昔からの伝統を守っている。それは、生け花と同じように、若き女性のしつけの一部なのだ。その終着点には伝統的な結婚式が待っている。
―レポート「Tokyo after the Occupation」
 それでは、今日はこの辺で Bye bye  傘晴れ