中日新聞の記事を見て縄文時代について認識を新たにしました。また、夏休みに行った原村歴史民俗資料館の縄文展示や阿久遺跡の収蔵庫を見学した時の写真を載せました。

(画像をクリックして、300%くらいに拡大すると文字が鮮明になり、文章が読めます。)

 

1 中日新聞から

 

2  原村歴史民俗資料館

  平成309月に、原村から出土した土器18点が「信州の特色ある縄文土器」として長野県宝に指定されました。

  

 

  顔面装飾付釣手土器(前尾根遺跡)

  

  縄文中期の大きなムラの家から無傷で出土した釣手土器の顔は、目がつりあがり、口はオチョボ口で、何ともいえないあどけなさを感じ取れます。あたかも人間が釣手土器を抱え込んだ様にも見られる土器です。土偶に比べ発見地域が限定されることや、つくられた期間が中期の時期の短い間ということなどから数も少ない。土偶の万を超える個体数に対し、わずかに500余例です。出土は長野県中部から南部、山梨県、静岡県、神奈川県の山岳部に限られています。関東の貝塚文化圏にはないし、東北の縄文文化圏にもありません。中部山岳地域のもっとも特徴的な土器です。

 

  

 

  

縄文人はどのくらいまでの数を認識していたのだろうか?

 

3 阿久遺跡の原村埋蔵文化財収蔵庫

  膨大な収蔵品がありました。原村では100ほどの遺跡が発掘されていますが、未整備の状態のものが多いのが現状です。遺跡から出土した遺物は天箱約1500箱、復元した土器は約1300点が収蔵されています。

  その一部が原村歴史民俗資料館で一般公開されています。日本遺産に認定され、国史跡となっていることから、多くの人が見られるようになることを期待したいと思います。

 

  

 

  

 

   

 

  

 

  

 

下の土器はたくさんある収蔵品の中で、魅せられた土器の1つです。

土器は日本人が初めて作った芸術品です。これを造った縄文人は、4つの面にある文様にどんな意味を込めて作ったのでしょうか?