身動きが取れない場所、これは病院内で多くあった、

例えば、点滴。

束縛されている、繋がれているという感覚がひどく気持ち悪く感じて

一時も付けていられなくなり、点滴はNGとなった。

同じようにリハビリで使用する電気治療器などにも強い抵抗を感じた。

心電図やCTはギリギリ。

中でも一番の恐怖は、MRI。

これは閉所恐怖症の天敵。

椎間板ヘルニア持ちの私は、MRI検査途中にギブアップした。

 

また体に変化があると過敏に反応してしまう。

風邪やインフルエンザなどで発熱すると、

単純に体がきつい、動けない、

このまま熱が上がり続けるのかという極度の不安からパニック発作を誘発。

発熱とパニック発作の合併症はとてつもなく厳しい状況に追い込まれる。

 

春や秋の季節、

花粉症で鼻が詰まると、

息苦しくなりこれもまたパニック発作の原因に。

 

体が疲れすぎるのも駄目。

好きなテニスもやりすぎて疲れると発作が起こる。

以前は、その疲れが心地よく感じてすらいたのに、

今では致命傷になりかねない。

心身の異常や疲労は、即、発作に直結した。

 

職場でもそう。

お客様で店内が混雑したり、

電話が続けざまに鳴り響いたりすると、

心の許容範囲を超えてしまい立ち眩みや、めまい、動悸が始まった。

すぐに頓服を飲み、回復するのをじっと待った。

理解してくれている店舗のスタッフの皆にはとても助けられた。

自分の得意とする業務でその分リカバーする、

店舗の、皆の役に立つんだという気持ちでとにかく働いた。

 

日常生活や仕事が満足に送れない日々が続いた。

生きるのが苦しかった。

 

大きな発作が現れる間隔は長くなったものの、

完治はしなかった。

予期不安。

常にまた発作が起きるのではないかという不安を抱えて生きていた。

焦らず、ゆっくり治しましょうと先生から言われていた。

このままパニック障害とともに生きていくしかないのかとさえ思った。

病院には通い続けた。

いつか必ず治ると信じて

 

 

そしてこの状態で八年近くが過ぎた。

 

時間の経過とともにパニック発作に対する耐性がついてきたのか、

良くも悪くも慣れてきていた。

発作の症状は慢性的になっていた。

 

それから間もなく、パニック障害は違う形に変化した。

 

本当の地獄はこれから始まる。

 

→次回に続く…

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