一日を無事に生きて行く為に、最低限必要な750円を計算し終えると、俺はホッとして焼酎を一口呑んだ。収入が少ないのは、これは意図的にそうしていることであって、これでも1年程前までは、アルバイトを二つかけ持ちしていた。

かけ持ち、と言っても、月の収入は13万円程で、その中から、生活費と金融機関への
借金1万5000円を支払っていたから(これは、今も、まだ払っているが)、実際、自由に
使えるのは2万円程だったが、
別段、使い道のない俺は、その分、外食を多めとし、酒も、月に2回ほどは近所の台湾料理屋で、冷えた生ビールを水餃子や麻婆茄子などと共に舌鼓を打ち、本屋に入れば気になった本を買い、観たいなと思う映画があれば、ふらっと映画館へ出かけ、気になる展覧会などがあれば美術館などへ足を運び、また、家に風呂があるのに(正しくは、シャワーのみなのだが、シャワーのみで充分なのだが)、都内の気になる銭湯を調べては、わざわざ旅行気分で出かけて湯船に浸かったり、ある時は、駅弁が食べたい為だけにボックス型の電車に乗ったり、その勢いで、熱海温泉まで行って、日帰りの露天風呂に浸かり、さらにそのまま鬼怒川温泉まで足を伸ばして、また露天風呂に浸かったり、それはそれは、もう、ここに書きだしただけでも、収入のない芸人の
くせに、贅沢極まる生活を謳歌していたのだ。

だが、それが過ぎるゆえ、2万円では足らずに、肝心の生活費を支払うのを後回しにするほど、それらの快楽に歯止めが利かなくなって行って、ついには、アパートの大家さんから、追い出し命令をくらってしまった。
しまったのだが、その時、奇跡的に、俺の本業である芸人の仕事が、いくつかまとめて舞い込んで来た為、なんとかそのギャランティで、浮浪者への難を逃れ、ペコペコと平謝りしながら、
一応の誠意を大家さんに見せたものの、このままでは、同じ目に合う日が来るのは目に見えているので、詰まる所、今の収入があるから余計な金を使ってしまう訳で、ならば、生活費が
「ぎりぎり」ならば、このような事態に陥りようがないではないか、

何々?「ぎりぎり」だと不安?

俺は、しばらく自分に問いただしてみたが、そんなに不安でもなかった為、俺は、二つやっていたアルバイトのひとつを辞めることにした。

辞めた。
辞めてから変わった。すっかり変わった。もちろん、貧乏になった。
けれど、俺は、以前より幸せになった。
もちろん、お金がなくて幸せな訳はない。
お金がない、けど幸せになったのである。

そもそも、俺は、幸せになりたくて芸人の世界に足を踏み入れた。
それは、俺だけではなくて、何か自分のやりたいことを目指す、すべての人間にとって
共通のはずである。
だが、いつしか、皆、それを忘れて行く。
俺も完全にその一人だったから、思い出して良かった、そう、
「なぜアルバイトをしているのか?」
今なら(いや、アルバイトを二つかけ持ちしていた時も答えられていただろうが、今なら、はっきりと俺は)、一瞬で答えられる

「芸人という本業で食えないから」

なのである。
芸人だけのギャランティだけでは、生きていけないからなのである。
月々、平均、わずか数千円という、アルバイトだったら、一日で稼げるほどの収入しか入ってこない状態(完全にゼロの時期の方が多いが)で、生活して行けない。
行けるのなら、物価の安いインドくらいか。
そうだ、俺は、インドで芸人をすればこのままでも食っていけるぞ、
そうだ!インドへ行こう!
とナンセンスが頭をよぎったこともあるが、そもそも、インドへ行く金がないではないか、
また、仮に行けたとしても、毎日、カレー味の食べ物ばかりじゃないか
(凄いのは、インドでは、風邪薬がカレー味なんだって、なんだそりゃおい、よく耳にする、
カレーを毎日食べてると風邪をひかないっていう話が、すっかり嘘だったことを証明しているじゃないか)、ああ、インドで芸人デビューはしたくない、俺はこのまま日本がいい、ならば、アルバイトという不本意ではあるが、芸人で食う為には仕方のない、インドへ行かなくてもいい
手段をとるほかない訳である。

俺は、アルバイトをひとつ辞めたことで、芸人であることの幸せを取り戻した、取り戻したが、収入は10万円になった。
10万円、である。
今、この日本に10万円で生活している人がどれくらいいるんだろうか。
そう考えると、なんだか
選ばれし者のような、王者の風格さえただよう。
10万円で幸せに生活する、そんな俺は、自分のことを「10万長者」と呼ぶことにしてみた。その瞬間から、今まで客席にいたどんなお客さんよりも笑顔になった。

不思議なもので、そうなってからの方が、芸人の仕事が増えて来た。
いい時には、月に2万円の時もある。もちろん、嬉しいのだが、思わず、外食が増えてしまう(ラーメン屋で、ラーメン大盛り+ライスおしんこセットで足りていたのに、ここに餃子があったらもっと幸せだなぁと、思わず、追加で餃子を頼んでしまう、しかし、元々、なくても腹の虫はおさまる予定のボリュームだったので、急に満腹になって、餃子を二切れほど残してしまう、よく見たら、追加で餃子を頼んでしまったせいで、ライスも少し残してしまう、席を立って、残ったライスを俯瞰で見ると、点々と、赤いラー油でコーティングされている)なんという愚かなことよ。

俺の芸人の収入で増えた結果が、ライスにラー油だなんて、全く馬鹿げている。
これが、芸人の収入だけならいいのだ。アルバイト料を含んで、ライスにラー油という所に胸が痛むのだ。
このままではいけない。
芸人としての収入が増えて来た今、俺のすべきことは、ひとつ、そう、アルバイトの労働時間を2万円分減らすことなり、だ。
だが、待て待て、よく考えてみたら、毎月、必ず2万円入ってくる訳ではない。
今のアルバイトの時間はこのままキープしよう、と直ぐに思いとどまるも、いい時に入ってきてしまう2万円で、また餃子を頼んでしまうのではないか、そして残してしまうのではないか、
だが、そんな心配事が、あっさりなくなる日は割と早くやってきた、そう、
それは、区役所からの国民年金の支払いの催促である。
ああ、にっくき国民年金!
大体、俺はそんなもの払わなくても、将来、芸人で億万長者になるから老後は安定、それどころか、南の島のビーチで、変な青色のカクテルみたいなのを飲んでバカンスだと思っていたのだが、ここへ来て考えが変わって来ていた。
というのも、俺がこの先、幸せに生きて行く為には、芸人の仕事が今以上に減って
しまっても、芸人をやっている訳で、その時に生活する金が月にわずかながらでも入って来るのなら、今、餃子の追加分は余分にある、この金で、年金を払ってもいいのではないかと思った訳だ。
しかも、俺の場合、日本の相対的貧困率ぎりぎりの所で生活しているので、年金の支払い額は人よりも少ない。
早速、区役所で今後の手続きをしてきた俺は、老後の芸人生活のウキウキを想像しながら、思わず、そんなに食べたくもないアイスクリームをテンションだけで買って食べてしまった。
いかんいかん、また悪い癖が出た。
だが、ことはうまく出来ているもので、その数日後には、俺の悪癖を断ち切る出来事が
ついにやって来た。

5年ほど使っていた携帯電話のアイフォンがいよいよヤバくなってきたのだ。
突然消える画面に限界が来たゆえ、新機種に変更することになったのだ。
そのせいで、いや、その甲斐あって、月々の携帯電話料金が今までよりも数千円、高くなってしまった。俺は、全く使いこなせないアイフォンの新機種を持ちながら、芸人の仕事のオファーの電話がかかってくるのを楽しみに待っている。
このアイフォンの料金を、かかってきたオファーのギャランティで払ってやる、いつか、きっと払ってやる。
そんなことを考えている俺は、ちょっとだけ、億万長者に近付いているような気がした。