優秀アドレナリン映画賞「フェリーニの81/2」


・選考理由

「フェリーニの81/2」

フェデリコ・フェリーニ監督の代表作のひとつである。
映画史上屈指の名作と言われているにもかかわらず、恐らく、その作品の全貌を理解できている人は少ないのではないだろうかと思われる。

簡単にあらすじを解説するなら、「ある映画監督が次回作の構想に悩んでおり、頭の中が錯乱している」と言った所か。もちろん、このあらすじ自体も、本当は違っていて、フェリーニは別のことを伝えたかったのかもしれないが、とにかく、よく分からないというのが名作と呼ばれているゆえんなのだろうか。

俺がこの映画を初めて観たのは中学生の時だ。
なぜ観たのか、その経緯は覚えていないが、とにかく「なんじゃこりゃ?」という印象だった。
そして、そのあと、俺は将来、芸人になりたくてネタを作っていた時に、再びこれを観た。
すると、作品に悩む主人公の気持ちが少し分かった。
分かったが、やっぱり映画全体が分からない。
だけど、少なくとも最初に観た時よりは面白かったから、俺は勝手に「成長した!」と
思っていた。一体、何が成長なのか分からないが、中学生の時より賢くなったんだと、それだけで嬉しかった。
十代の青春まっさかりの時期に、ダイ・ハードでもなく、ターミネーターでもなく、ジュラシックパークでもなく、俺の心を揺さぶり続けた「81/2」
振り返って考えてみれば、これは、凄い影響力ではないのか。
十代という人格形成を築く大事な時期に出会うべくして出会った運命の映画だと、無理矢理な美談に持っていける。
(持っていけるタイミングが来たら、凄い勢いで話してやろう。うぉぉ~)

以後、しばらくこの映画のことを忘れて、インデペンデンス・デイなどの娯楽作品にうつつをぬかしていた俺なのだが(ちなみに、インデペンデンス・デイは、劇場で観た時に、とりあえず、UFOでかいと感動!来年2016年に、インデペンデンス・デイの続編が公開予定とのこと。もしUFOがもっとでかければ、はらしょう優秀UFO賞を勝手に送る予定である。)

そう、確かあれは、23歳の時のことだ。
初めて本格的な一人芝居をする為に、俺は、京都のアトリエ劇研という劇場に出ることになり、ネタに悩んでいた時、突然、あの主人公を思い出したのだ。
そして三度目の「81/2」を鑑賞。
次回作のアイディアに錯乱する主人公、これがとても面白かった。
おいおい、これは、まさに今の俺ではないのか。
うん、でも、やっぱりよく分からない。
この映画は一体なんなんだ。

そのあとは、ネタに行き詰ることは度々あったものの、2013年頃まですっかり封印されていた。
封印を解くきっかけとなったのが、短編映画の第2作目を撮ろうと言う話が持ちかかった時のことだ。

俺は、その前の年に、ゆうばり映画祭に出品する為に短編映画を1本撮ったのだが、落選した為、次の映画祭に間に合うように駆け足で準備していた。
秩父にある山までロケハンに行ったあと、シナリオ作りに行き詰っていた夜中のこと、
あの映画のことを思い出した。
「81/2」
映画監督が次回作に行き詰る話・・・なんということだろう、今までは舞台でかけるネタに行き詰まり、映画の主人公に自分をだぶらせることが、再鑑賞のきっかけになっていたのが、今回は違う、そうまさに、次回作で悩む俺は、あの映画そのままではないのか!

発作的に観たくなった俺は、なんとなくネットで「81/2」と検索してみた。
すると、ユーチューブで、どこかの国の人が無料動画をアップしていたのだ。
先程まで行き詰っていた俺の脳に、アドレナリンがドバドバと流れ出した。
だが、早速、動画をクリックして愕然とした・・・
そう、字幕がないのである。これでは内容が分からないではないか。

せっかく放出されたアドレナリンは、単なる汗に変わった。

これでは、元々、難解だった内容の81/2倍くらい、難解なのではないか!
悲しい気持ちになりながら、俺は10年ぶりくらいに再鑑賞を始めた。
所が、ここで不思議なことが起こった。
どういう訳なのだろう、字幕なしの方が面白いのだ。
言語野である左脳で言葉が分からない分、右脳だけでこの映画を観ているのだろうか。
そのまま、ラストシーンまで一気に観終えた俺は、アドレナリンをすべて出し切り、恍惚感に浸りきっていた。
凄いぞ。この映画は凄い。
「じゃあ、どんな内容だったんですか?」
なんて聞かないでくれ、そんなことを言ってるんじゃない、感じるんだ。
まさにここで、あのブルースリーの有名な「考えるな、感じろ」
というセリフを使う日がやって来たのだ。

人生、四度目の鑑賞にして、ついにこの映画の世界に入っていけた。
冴え渡る真夜中の脳みそのまま、一気に俺はシナリオのシノプシスを完成させた。

だが、翌日、もっと凄いことが起こった。
たまたま立ち寄った古本屋で、昔の映画雑誌に紛れて、「81/2」の
シナリオ本が売られていたのだ。

なんという「81/2」運の強さだ!

歓喜した俺は、デレデレと気持ちの悪い顔でレジへ向った。

帰宅した俺は、ネスカフェゴールドブレンドを飲みながら、早速、1ページ目を開いた。
この映画のシナリオが読めるなんて、と、まるで、出演者の一人になったような錯覚に陥りながら、せっかくだから主人公の映画監督の役は自分だと思いながら、一気にそれを読み終えた。
そして、ページを閉じた途端、思った。

「分からない」

こうして、俺は、振り出しに戻った。

その後、自分の撮影する短編映画のシナリオは完成しなかったばかりでなく、企画そのものが予算面などの都合でなくなってしまった。

ただ、喜ぶべきことがあるなら、それ以降、俺は、いまだ、五度目の鑑賞をしていないということだ。
今の所、行き詰っていないということなのだろう。

でも、この文章を書きながら、ちょっと観たくなってきている自分がいる。
いやいや、まだまだ観てたまるか。
特効薬に取っておく。
ただし、その時は字幕抜きで。

んっ?なんだか、わさび抜きみたいだ。