零と壱の狭間

零と壱の狭間

なんだか分からないけど、
なんかやれっていうので、やってみます。

Amebaでブログを始めよう!
どーも。どーも。

って事で、さっきの続きで

今度は「教育」についての定義について考えましょか。

まあこの言葉だけを見れば、

「教える」って言葉と

「育てる」って言葉が合体して、

「教育」って感じですけど、

まあイメージ的には

「教えて育てる」

って感じですよね?

だけどね、私も教育者っていうか、
「教えて育てる系」の仕事をしているんですけど、

仕事をしていて思うのは、

果たして、教えると育つのか?

っていうここですね。

この問いに対して「教えると育ちますよね」って
言ってる人間は、

レベルが低いっていうか、
教育というよりも

「人はどうすれば育つか」

って事が実践レベルで
分かっていない人だと思いますね。

私も以前はそうでした。
以下に、教え込むか。

そこばっかり考えてました。

だけど、教えれば教えるほど育ちません。

一番、育つのはどうすればよいか。

ほったらかして、
その人のやりたいようにやらせる事。


ただ、これだけです。(笑)

これが一番育ちます。

なので、なかなか難しい話になりますけど、

「教育」という言葉自体が、
何偉そうな事言っちゃってんのお前的な
話になってしまいますね、私の中では。ええ。

それとは別の言葉といいますか、似ている言葉として

「指導」

という言葉がありますね。

今現在の私としての考えは、

この「指導」という言葉の方が好きだし、
教育などというおこがましき言葉ではなく、

すべて指導で良いと思いますね。

「指導」

とは、その名の如く

「指して導く」

ただ、それだけです。

いちいち恩着せがましく
教えて育てようなんて事をしない。

他人が何かをして、
誰かが育つ事にとって

プラスになるとすれば、
この程度だと思いますけどね。

まあ、自然界に今度は
目を向けてみると言いますか、
そっち関係で考えてみますと、

「親の背を見て子は育つ」

的な話がありますから、

もしも「教育」という言葉の定義を
考えるのであれば、

「背中を見せて育てる」

的な意味合いになると思いますね。

「○○は××すればうまくいく。」

みたいなありがちなやりかたを
私は教育とは定義しません。

それは「押し売り」っていうんじゃないですかね?

自分でやってるところをなんとなしに見せる。

それにその人が興味を持てば、
あっちから聞いてくる訳ですからね。

そしたらちょっと指して導いてまたほったらかす。

その内に、
本人のレベルが上がるから、

誰かが手なんて差し伸べなくても、
勝手に育っていきますよってにね。

って事で私の教育の定義は、

「先人が「やってみせる」という背中によって伝えていくのみ」

って事にしましょうかね。

もうひとつあるとすれば、

「大きな心で、見守る。とにかく手出し無用。」

って事だと思います。

これは、日ごろ子ども達と
付き合っている私の実践的な見解です。

まあ、そういう現場に出ないで、
理屈だけであーじゃねーこーじゃねーってやっている人間達に、
これを言ってどこまで理解できるかは分かりませんけどね。

医者だって理屈で解剖学を知り尽くしている人間よりも、

一度、本物の人間解剖した医者の方が、
よっぽど説得力あるでしょ?

ぶっちゃけてしまうと、

その「実践」のない状態の人と、

毎日実践だらけの人間が、
議論すること自体が
結構不毛だなぁと思ったりしますけど、

おそらく、私は実際に
どこまで本当の事を言って
彼らと議論するのか分かりません。

なので、健康な状態を保つためにも、

「本当の事」


を、とりあえずここでは
書いてみようかなと思い書きました。

まあ難しいですよ。

こっちは答えを知っているけど、
答えを知らない人達っていうか
子どもが分かりやすいですけど、

彼らは間違った事ばかりしますからね。

そこを「おい、間違ってるぞ」と
指摘するのはやりすぎなんですね。

生死に関係ない限りは、
ともかく大きな心で見守る。

手を出せば手を出すほど、
本人のエネルギーのMAX値みたいなものが
削られていきますからね。

って事を考えると、

今の私にとっては

この「エネルギーのMAX値が高い状態」を、

「健康」

と定義しているのかもしれませんね。

これが高ければ、なんでもチャレンジできるし、
他人にも依存しないし、

そもそも「教育」なんてものと、
無援の状態で

ひとりでガンガン進んで行ける訳ですからね。

とは言っても、人間ですから、

「コミュニケーションの力」

ってのは問われる訳でして、

ひとりでガンガン進めるけど、
誰一人として理解し合えない人間は、

果たして「健康」と言えるのか?

と考えると、

なかなか難しい話になってきますね。

まあ、「孤独」という状態で、
エネルギーのMAX値が高まっている人であれば、

それでもOKなのかもしれませんが、

だいたいの人達は、
やっぱり人と分かりあえないってのは
なかなか健康ではいられない気がしますので、

この

「人と健全なコミュニケーションが取れる力」

ってのも

「健康」の中に含まれる
ひとつの要素なのかなと考えてみたりして。

って事で、

とりあえず「健康」と「教育」についての定義の考察は終わり。

って事で気が向いたら最後に「まとめ」的な
事でも書いてみようかなと思います。

ではでは。