ブログなるものを我もしてみたいと思いつつもいざとなると、何を?となっていた。そこで他人様のブログを流し読みしていると、男女問わず、いわゆる恋愛弱者という失礼なカテゴリに入れられている方々の述懐が多いことを発見した。

 恋愛は人を詩人にしたり哲学者にすることはむかしからいわれることながら、求めて得られない恋愛もまた人の思考を深めるものであるな、というのが読んだ感想である。

 「コレなら自分も」となったのは私自身が、けっこうな歳まで童貞で、地獄の苦しみという表現が大袈裟でないくらい悩み、苦しんだからである。

 

 そして、もう一つ。

 最近読んだ小説で、辻村深月著『傲慢と善良』。コミックで板倉梓『瓜を破る』を読んで、立て続けにオッサンの心の琴線に触れられてしまった。

 というのも書きたくなった動機である。(この2作のネタバレは多少あり)

 

 『瓜を破る』で、主人公が悩み抜いた末、高校の同窓会で再開した元カレに、処女喪失を懇願する場面で、無意識に涙を流してしまうのだが、不覚にも私も涙をこぼしそうになった。

 未経験であることを隠そうとする自己肯定感皆無の自分と、三十路まで選ばれることのなかった屈辱と羞恥。ありとあらゆる想いが混濁した感情が描かれている。余りにも切ない。

 

 一方、『傲慢と善良』もかなりのベストセラーとのことである。こちらの主人公も33歳処女という。この作品の鋭いところは東京と地方の結婚観の違いに切り込んでるところである。いずれ書きたい要素は満載だが、結婚のみで恋愛欲まで満たされるものではない、というこれまた私が体験してきたがあまり口外できなことが活写されている。


 ここで書評をするつもりはない。しかし今現在の日本でこの種作品が受け入れられる土壌も考察したい。

 「高齢処女(童貞)」が登場する作品は、『にげ恥』『セクシー田中さん』等メジャーなものばかりではなく、コミック市場を探せば相当ありそうである。ひょっとして潜在的に相当数いるのか?

 

 また結婚数、出生数が減り、政府の不適格な対策が空転しながら「若者の草食化」と勝手なレッテル貼りされているが、実情は?

  

 収拾がつかないので初回はここまで。