とうとう鳩山内閣が退陣となり、菅総理の誕生となった。結局自らの人生と自分の言葉の矛盾に押しつぶされた。去年の衆議院選挙で歴史的な勝利となった民主党だが、国の仕組みを軽視したその勘違い政治主導は、現場に起きた生の出来事に対応仕切れず、自らの首を締めることとなった。強い国家があるうちは私は社会主義に同調する。基本弱い者の味方だったからだ。もちろん、その中には非軍事、基本平和が続くことが大前提になっていることに気づかなければならない。今は国家が弱いのは明らかだ。経済の停滞。教育の行き詰まり。科学技術に関わる開発意欲の停滞。民も政治も官僚も目先の利益に踊らされて、国家の先の大計を見失ってしまった。世界の大計があればまだいい。世界の大計から国家の大計にいたり日本の役割、日本人の役目、ありかたが決まる。決してゆるやかな衰退など起こしてはならないのだ。20年に及ぶ停滞はGDPの衰退こそ微小にみえるが、経済の産業構造が変わっていき、実業にかかわる技術開発の停滞があった。経済が縮小してしまい、代わりに世界の底辺の実工場は中国にとって変わられた。もちろん、低すぎる賃金によるものだろうが、工場の移転は相次ぎ、日本の雇用が奪われてしまった。急速な少子化は大学卒業生の大量化を生み出した。日本の構造が大きく変わってしまったのだ。
それを見据えずにやたらと生活重視のみの政治になってしまうと、国家がなくなってしまう。それを理解しなければならない。
さて、新しい総理と民主党はどうなるのか見守りたい。民主党の法案のいくつかは駄目な法案もあるが、宗教分離推進と閣僚会見の公開だけはかっている。
さあ、見守ろう。まだ真の政治がはじまる時ではない。それは人間の改革と同時に始まる。