登山口でもお伝えしたように、別ルートは通行止め区間があるため、ピストンで下ります。



同じ道でも新たな出合いがありました。



ハート♡の形をしたムニンシラガゴケです。



ムニン付きです。こちらも小笠原固有種です。

乳房山で多く見られるのは、ムニンシラガゴケとコヒノキゴケなるコケだそうですが、苔初心者には何ゴケかわかりません。



水水しいー。

そんななか、北米原産の外来種トカゲ・グリーンアノールが、のてのて歩いていました。

もともと数が少ない昆虫を食べまくっているトカゲさんだとか。島のあちこちで見かけるようです。

母島にはいなかったにも関わらず、人間がいたずら半分に父島から持ち帰ったところ、周囲から非難されたため、飼うのをあきらめて逃がした数匹が瞬く間に増えてしまった、ということでした。

そもそも、父島にいるグリーンアノールも、海外からペットとして持ち込まれて野生化したもの。

とどのつまり、人間が悪い、に落ち着きますね。



危険な種扱いされてますが・・・かわいい可愛い。

青いアイシャドウ姿も可愛い。

爬虫類両生類好きの姉は、きゃっきゃきゃっきゃと喜んでいました。

図鑑育ちの姉は、結局なんでも好きということなのですが、(ほ乳類好きは多いので)鳥・魚・爬虫類両生類が好きだと特筆したくなるー。

(図鑑が好きだからではなく、生き物が好きだからなのか・・・鶏が先か卵が先かどちらかわかりません。)

この子の体色は基本的には緑ですが、カメレオンのように環境に応じて色を変化させることができます。



黄緑色から暗褐色まで自由自在。

一方のこちらはオガサワラトカゲです。



固有種のオガサワラトカゲは、グリーンアノールと比べて体が小さいため、競合に負けてしまっているといわれます。

(自然界あるある。)

カタツムリさんたちに同じ。両方とも頑張れー。

そんな彼らを、カタツムリハンターの彼女がじぃーっと見ながら
「んー、こっちはダメだ。苦手だ」などと言い出し、

それを聞いた私が、心の中でダメの境界線がわからないとツッコミを入れていると

その言葉を受けた彼(?)が
「だな」と適当に相槌をうちながら、これまたじっくり見つめていました。

どっちもダメじゃないじゃん、と、ほんのほんのわずかですがウケました。


ここの草木は本当にのびのびとしています。




ジャングルをくだっていると、今度はこんなネームプレートが見つかりました。



幹が赤いので「赤木(アカギ)」。

太平洋戦争以前、小笠原は製糖事業が盛んでした。
サトウキビを煮詰める燃料用の薪として導入されたのがこのアカギです。

小笠原の土地と相性が良かったようで、瞬く間に勢力を拡大、ついには小笠原諸島の本来の植物相を破壊し始めました。

巨木で日影を作るのと、他の植物に害を与えるような揮発物質を発生させるとかで、いたるところにアカギの森ができてしまっているのが現状です。



固有の植物を保護しながらアカギを駆除するのは非常に難しいようですが、

放っておくと小笠原全体がアカギ林になりそうな勢いのため、小笠原村は真剣に対策を取り始めているとのガイドさんのお話でした。


外来種のアカギさんの後に紹介するのは、固有種で天然記念物にも指定されているアカガシラハラスバトちゃん。

最初に存在を察知したのは、もちろんガイドさんです。

瞬時に歌声で誰が歌っているのかを聴き分けられるんですよね。

どこ?



あそこ?



ううん、こっちみたい。



いたいたー♡

みなで方々を見回し、またもや姉が一番目の発見者となりました。



小笠原群島では40〜60羽、南硫黄島では数十個体程度と推定され、国内で最も絶滅が危惧される鳥類です。

たいへんに希少価値の高い子なのです。

お会いできて嬉しいな。

姉が買った鳥シールにもいました。



「よろしくね」

固有種のオガサワラチビクワガタなんて、少年たちが喜びそうな昆虫にもあえるようですよ。



登山口に戻ってきました。



スポーツという観点だけでの登山で捉えるならば、初心者さん以外は物足りなく思うかもしれません。

ですが、総合的には、大変に中身の濃いトレッキングでした。

日頃の山登りでも相当に寄り道をしていますが、ガイドさんといると別世界にきたように好奇心が止まらなくなりますね。


固有種コアラさんは、何度も何度も同じ場所をガイドしているはずなのに、子どものように顔を輝かせながら説明されていました。

本日泊まる宿まで送ってくださるとのことでしたが、島の空気を吸いながら歩いて帰ろうという話になり、登山口でご挨拶。

どうもありがとうございました。



歩き始めてすぐに見えてきたのはロース記念館。

東京都の有形文化財に指定された郷土資料館です。




以前は砂糖の貯蔵庫だった建物は、屋根には前述したシュロの葉、壁には母島産のロース石が使用されていました。

ドイツからはるばるやってきたフレデリック・ロルフス(ロース)さん



上記のロース石の名前は、母島の石が加工しやすく、かつ熱に強いことに気づき、島民にその利用方法を普及させたロースさんに由来しています。

館内は仕切りが無く、ワンルームタイプで利用されていました。




戦前戦後に使用された道具類、固有種鳥類のはく製、古い写真資料などが展示されています。

コアラ2号さんが、山中、「タコノキの葉っぱで民芸品などを編める体験を催していますよ」とおっしゃっていたのですが、このことだったのですね。



トライしてみたかったのですが、15時半までとのこと。時間が足りないので諦めます。


続いて小学校が見えてきました。



子どもたちのさざめく声が聞こえてきます。

小笠原村立母島小学校です。

この小学校はユネスコスクールに加盟。

ユネスコスクールは、1953年、ASPnet(Associated Schools Project Network)として、ユネスコ憲章に示された理念を学校現場で実践するため、国際理解教育の実験的な試みを比較研究し、その調整をはかる共同体として発足しました。

日本では、ASPnetへの加盟が承認された学校を、ユネスコスクールと呼んでいるそうです。

どのような活動をしているのか興味があったのでHPをのぞいてみました。

「世界自然遺産として登録された小笠原の自然について、環境教育の視点から系統的な指導計画を立案し、学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究的な活動に主体的・創造的に取り組む態度を育て、郷土小笠原への誇りや愛着、そして自己の生き方を考えることができるようになることをねらいとしている。」