harapapaさんのブログ
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被災地支援

何故、福島産農産物を買えないのでしょうか!

福島原子力発電所の事故により放射能が飛散し福島県産を中心とした農産物が消費されなくなっています。明らかに放射能の影響を受けている農産物のみならず、放射能の影響を受けていないであろう農産物も風評被害にあっている状況のようです。

この状況の中で私が思うことは、個人の責任において風評被害にあっている農産物を、日本中のひとりひとりが少しずつ買い取れないかということです。WEB販売をしてもらえば可能だと思いますが、私が調べた限りではこうした発想で販売しているサイトはなさそうです。

どなたか、こうした被災地支援を行える手法を可能にする方策をご存知の方はいらっしゃいませんか?

阪神淡路大震災

阪神淡路大震災から15年、神戸生まれの私は震災5日後に母校の小学校(避難地)まで救援物資を持っていったときのことを毎年思い出します。地震大国日本に住む私たちは出来る限り、あの時の記憶を蘇らせる必要があると思っています。

震災後、初めて雨が降ったその日、阪急梅田から西宮北口まで電車で移動し、10kmほど離れた灘区の小学校まで、バックパッキングに詰めた救援物資を徒歩で持っていきました。

阪急西宮北口駅についてから、救援に来たと思われる人波は国道2号線に向けて動き始めました。2号線に近づくにつれて木造家屋の被害は凄まじいものになり、崩れた土壁やアスファルト、漏れた下水、食べ物の腐乱臭、(おそらく動物の)死臭等様々なにおいが入り混じった、2度と経験することがないであろう異臭が漂ってきました。

自衛隊や様々な地方からきた消防車らが、救援・復旧作業を続ける中を抜け、亡くなられた方の告知張り紙の前で合掌しながら、どこの1m四方をとっても壊れていないところはないほど破壊されつくした道路上を進みました。

国道2号線は、両サイドの建物の瓦礫が幅を狭める中(おそらく人命救助を行う際に瓦礫を道路上に放り出したのでしょう)、救援物資を満載したトラックが停止した状態で延々と連なっていました。長時間待っているのか中で寝ている運転手もいました。

阪急六甲駅の近くにある、かつて私が住んでいた家のあたりは、見た目には倒壊家屋はなく(かなり古い木造家屋も残っていました)数十メートル海側に下ったあたりから、急激に被害が激しくなっていました。地盤の強度が大きく影響したようです。古くから「神戸に住むなら阪急電鉄より北側に住め」と言われてきたのは、こうした要因があるのかも知れません。

避難場所になっていた母校に着き、廊下を歩いて事務所に行こうとしたところ、廊下が傷んでいたのか大きなきしみ音がでました。その瞬間避難所内から悲鳴が上がりました。地震時の建物のきしみを思い出させたのでしょう。激しいトラウマになっていたのかもしれません。

救援物資を渡した際、担当の方に大変感謝していただきました。出来るだけ手を煩わさないほうがよいと思い、すぐに立ち去りました。

新神戸方面に抜け北神急行に乗って帰宅する途中、ふと目が合った向かい席のサラリーマン風の男性に言われたひと言「なんかえーもんあったんか?」・・・バックパッキングを背負った(もちろんカラになってましたが)私を見て、地震のどさくさにまぎれて盗みをはたらきにきたと疑ったのでしょう。心も体も疲労困憊していた私は話す気にもなりませんでした。

1月17日が近づくと、15年たった今でも、私の人生の経験のなかで最も衝撃的であった阪神淡路大震災の記憶が蘇り、涙が出てきます。