「大して仕事もせず、それなりの給料をもらって、一人で飲み歩いてばかりいる。」

というのは、道徳的に間違った行動なのだろうか・・・?

自分は決してそのようには認識していない。

むしろ、堂々とお天道様の下を歩ける、まっとうな生き方のひとつであるという認識である。

そもそも今の国家資格を取ったのは、父親が自らの支配力を行使して子供に求めたことだった。

自分はそれを実現するために、必死の努力をして資格を取った。

でも、その経緯からして、就きたい職業を見つけることはできなかったので

たまたま偶然、研究室の教授が紹介した職場を受けたら、受かっただけであった。

給料を基準にして就職先を決定したわけでもなんでもない。

たまたま偶然、昇給の良い会社に入っただけである。

会社に入った。

当初は、会社の支配力に従って、管理者の言う事をよく聞いて忠実に行動していた。

努力、ど根性、競争を通じて過激に職能を高めて、急成長するような理念が説かれていた。

打たれないためには、出過ぎた杭になる以外に方策はないという指導だった。

その通りに実行しただけで

入社当初から

「〇〇君は、まじめすぎるし、優秀すぎるし、仕事はできすぎる。」

なんてよく言われていた。

2年目からは年齢の近い先輩にも

「〇〇君は、静かに燃える青い炎だよ。俺らが5年かかったことを2年目にやっている。」

なんて言われていたけど、2年目から4年目まで3年間も激烈な潰しに遭遇することになった。

仕事を頑張ると激烈に潰され、諦めると「諦めたら終わりだ!」として激烈に叱られる。

またなんとか奮起して立ち上がって頑張ると、また潰される・・・3年間も繰り返して精神を失調した。

仕事で潰されるなら・・・組合活動で・・・

ということで1回だけ瞬間的に過激な行動をしたこともあった。

地域手当の支給率に関して考察したペーパーを書いて、

誰にも邪魔されないように根回し無しで大会の傍聴席から過激に問題提起して爆弾投下した。

管理者は「組合なんて、巨大な石ころを投げても、すぐ何事もなかったように水面の波紋は消える。」

なんて以前から聞いていたし、

「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない」

なんて日々言われていたことだったので

一回目から自分にできる最大限の行動をした結果、

一か月後くらいに、社長から長文FAXが職場に届いて・・・・

何について書いているのかは明らかにされていなかったけれども

「見直すべきものは見直す。」

としていた

それから10年以上して、もうその土地には自分はいないので気が付いていなかったけれども

会社全体の地域手当は現在は見直されて、その地域にも支給はされるようになっているけれども

それは自分の活動の影響によるものなのかどうかも分からない

26歳以降、33歳までに精神疾患は3回発症し、時には警察のお世話になることもあった。

まぁ・・・そんなこともあって、「この会社を辞めてくれ」なんて言われたこともあったのだけど

辞めなかった。

仕事は頑張ろうとすると、潰された過去の記憶が蘇ってきてもう頑張れない。

まぁ・・・職場で激烈な潰しに遭った23歳の時から、世の中や、人間や、社会に興味を持つようになり。

さまざまな分野の読書をする中で、この国の財政が危機的状況にあることを知った。

仕事で潰されて生き残れないなら投資で生き残りを図ろうということで、

24歳の時から、絶望の淵で国家財政破綻対策の金投資を開始した。

金投資するために、

時々、女を連れ込んで楽しんでいたような

自分で借りていた民間の新築のアパートを引き払って

格安の社員寮・・・築40年くらいの女子禁制のキッチンのない風呂トイレ共同の社員寮に住み替えて

生活保護水準以上の質素倹約をしながら・・・・・

まぁ、当時はダイソーの100円のネクタイ、300円のYシャツなどを買って着用していたし

会社で食べる昼食なんかも、

1個100円以下の袋ラーメンを束買いして1.5個を自宅から持ってきたドンブリに入れて

乾燥わかめをかけて

ポットのお湯をかけてレンジでチン・・・なんていうことをして毎日食べていた。

夕飯も外食はせず、寮の食堂の300円くらいのやつを毎日、食べていた。

毎月7~8万円、ボーナス100万円以上、全額を、国家財政破綻対策の金投資に費やした。

小口の金貨を大量に買いあさって退蔵するという方法をしていた。

当時の金価格はグラム1300円くらいであった。(現在12800円)

まぁ、そこまでのことをしないと、自分と自分が持つ家庭の将来が全く見通せない・・・

という感じだった。

当時、金投資をしていたことは、会社の人はおろか、友達にも、両親にも全く話していなかった。

でも、職場の人には感づかれた。

急に飲み会で仕事の話しをしなくなって、経済の話しばかりをするようになった、そういうところとか

急にぼろ臭い社員寮に住み替えて、どうやら投資をしているらしい・・・・・

ということで

「自分だけ生き残ろうとするのはいけないことだ。」と指摘された

法で保障された私権(私有財産権及び自由権)に基づいて合法的手段で投資をしていたにも関わらず・・・である。

まぁ、それで1年半くらい金投資を続けて、1Kg以上の金貨を退蔵していたけれども

地域手当を求めて過激な組合活動をしたその翌年度に、

急に広域転勤になって投資は2カ月間くらいとん挫していた頃に、

急に精神疾患を発症して、地獄のような精神症状に苦しむことになった。

そこから1か月程度で復帰して不安定な時期に、

「指摘されたとおり、自分だけ生き残ろうとして金投資したという道徳的な間違いが、病気発症の原因のひとつだったのではないか」

とやみくもに疑って、大量に買い込んでいた金貨を全て売却したのが26歳の時だったけれども

この段階で、「これで家族に責任を負い保障する能力を完全に喪失した。」との判断で

この人生における結婚を断念することになった。

あとは絶望の淵で、独りで趣味を彩って生活することになった。

金投資の資金を確保するために、会社の独身寮という狭い空間で息苦しく生活していたストレスも

病気の原因のひとつだったのではないかと、やみくもに疑って、

これまた家賃の高い新築1DKの物件に住み替えることになった。

魚釣り、スノーボード、ピアノ教室、水彩画教室、トレッキング、美食、キャバクラ、コンサートやライブ鑑賞、などいろいろなことをやって過ごした。

それでも、その後2回、精神疾患を再発した。

30代前半になると、結婚を諦めて一人で過ごしていることに関して

世間様から「結婚しろ!男は結婚してこそ一人前だ!」と強烈な圧力による支配介入があった。

これも婚姻の自由という私権への違法介入であるけれども・・・それも真に受けることになった

そもそも自分が結婚を諦めた経緯が極めて政治的な理由からだったから、

国家財政破綻対策の金投資をすることは道徳的に間違っているとして支配介入されて辞めたことで

結婚を諦めていた流れから、それでも強引に「結婚しろ!」というのであれば

「今すぐ責任を持って国家財政再建しろ!」

「今すぐ消費税40%にしろ!」

「今すぐ年金1/4にしろ!」

とわめく結果に繋がり、そして、同時にそういうことを発言していた当時の参議院議員だった

藤巻健史氏にメールを送って支持を表明したりもしていた。

でも、それもすぐに世間によって潰されてしまった。

自分だけ生き残ろうとするのもだめだし、かといって、みんなで協力して解決する意思も全くない。

こんなことでは、自分が子育てなどしても、全く話にならない・・・・・

自分自身が、残虐かつ極悪非道な財政的幼児虐待の虐待犯罪加害者になってしまうということで、

絶対にそんな無責任な結婚などできないということになったのである。

そして、いろいろ趣味を彩っていた暮らしも、30代半ばくらいで大部分飽きてしまい

その後残っている趣味は、

キャバクラや居酒屋での会話によるアウトプットと、読書によるインプット・・・・・

これだけをしながら、あとは、ひたすら死ぬまで生きる以外の道がなくなってしまった。

仕事の方は、潰されて、病気して、命まで失いそうになった強烈な過去の記憶があって

もう二度と頑張ることもできないし・・・

3度目の病気の再発で、産業医が介入して、会社による労務管理が入ってからは昇進しなくなった。

最後の昇進は29歳のときである。

自分の生活必要限度のお金があれば、もうそれ以上、がんばってもしょうがないというところもあるし。

仕事自体は、趣味でも、生きがいでもないので、やりがいだけの高いパフォーマンスは発揮できない。

ということで、結果論として

「大して仕事もせず、それなりの給料をもらって、一人で飲み歩いてばかりいる。」

という暮らしに帰結したのであるけれども。

これ自分一人の判断だけで、このような流れになったわけじゃないからね。

あらゆる人間の働きかけとの相互作用・交互作用によって、そのような状況になる流れに至った。

もちろん、自己責任でもなんでもない。

「遺伝子」「時代」「世の中」この3つの複雑な相互作用・交互作用の帰結である。

だからこんな暮らしをしているからといって、

道徳的に咎められるような謂れは全くないという認識である。

これでも、堂々とお天道様の下を歩ける、まっとうな人生のひとつであると考えている。