キャバ嬢とやりとりしていると。

彼女たちの本当のところは。

お客様に金持ち自慢されて、金持ちと関係を持つことがどれだけ幸福なことであるかを説かれて

苦しい想いをしてまでがんばって男の金の支配下に入ることよりも

実際は、今ある資源の中でも、人としての幸せは十分得られているのだ・・・・・

と、現状の自分で自己肯定できることのほうが、恐らくイキイキする

幸せになるための生存競争への必死な食いつきとかでなく、

今現在の資源で既にお金持ちと同等の幸福感は得ているのではないか?

みたいな認識になれると・・・・・

ある程度、この資本主義社会では、それほど豊かでない人にとっても、少し気持ちが楽になるようだ

昨日も、食べ物は高ければ高いほどおいしいわけではない、という話をしたら

ヘルプの子は喜んでいた

俺も30代頃までは・・・・・・・・

料理は高いほどおいしいものだと洗脳されていた

その色眼鏡を通じて食事をすると

立ち飲み屋の310円の刺身なんか、値段を見ただけで、ほんとこれ大丈夫か?

値段見ただけで、なんか本当に、生臭い味がしてくるような、錯覚をしていた

でも、実際は、殆ど、変わらないのだろう

安い店だと冷蔵庫に入れてないわけでもないし

流通過程で長時間、常温放置されていたわけでもない

しばらく汚い立ち飲み屋に行ってみると、

別に、そういう店のものがまずいわけでもなんでもないことに気が付いた

氷下魚(こまい)一夜干し焼きなんかは、

普通の身欠きのいいおいしい魚だけれども

立ち飲み屋では2匹で150円くらいだ

いい酒のつまみだ

魚には高級魚とそうでない魚もいるけど

それも市場動向や時代による漁獲高の変化によって

昔高級魚とされていたものが、今は大衆魚だったり

昔大衆魚だったものが、今は高級魚だったりすることもある

高ければ高いほど、おいしいわけでも決してないのである

そういえば、自分は魚釣りをしていた時期があったけれども、

鮮度だったら抜群の釣ったばかりの魚を持ち帰って、すぐ刺身で食べたりもしていたけれども

市場を通じて食べる魚と、どう味が違うのか分からなかった

魚釣りを始めた当初こそは、それは、自分で釣った魚をつまみに酒を飲むのはサイコーだぜ!

って感覚もあったけれども、それもずっとやっていると・・・・・・・・・・

あれ?これなんか、店で食べる魚と、味ぜんぜん同じじゃないかな・・・・・・

なんて思えてくるのである

今は、流通過程のコールドチェーンもかなりしっかりしているので

この国で食べる魚に、初めから生臭い腐りかけたものが流通しているということは殆どないだろう

値段が高ければ高いほど、しっかりしていておいしいわけでもなんでもないのである

生け造りで出す生け簀料理みたいな・・・でっかい生け簀を前にした繁華街の高級飲食店とかは

あくまでパフォーマンスに基づくエンターテイメントとしての食事に高額料金を支払っているだけであって・・・まぁ、動いてる魚を刺身で食べるというのは、肉質も違うことは違うけど、普段とは違う感覚がいいというのであって、おいしさとはちょっと違う。

若いキャバ嬢とかでも、薄々そういうことは気が付いていて、そういう事例なんて探せばいっぱいある

でも、金持ってる人が、高い料理こそおいしいから、ということで、

自分の金に女が群がってくるように洗脳支配しようとしてくることがある

実際は、彼女たちは、ふだんから別に自分が食べてるものがまずくないという事実を認識できたほうが幸せだし、どんな住居でも慣れれば同じだし、どんな贅沢なものを手に入れても、殆ど、現状の自分・・・普通の人と幸福感は同じであることを認識して安心したいところがある。

自分自身が選択した道や歴史もあまり否定したくないところがある。

学歴なんかあってもなくても、幸福感は同じだとか。

幸せなはずの大学生活やその後のいい暮らしに憧れていたけど、学力が足らなかったとかお金がなくて諦めたことで不幸なはずだと自分が思い込まされていると、お金持ちと結婚すれば幸せになるはずなのか?そういう錯覚をしている女の子も多いけど。

まぁ、実際は、どう生きても大して同じなんじゃないか・・・・・と思えるような素材が、お客さんの発言の中にあると、自分の錯覚によって金持ちの自慢話に無理してすり寄るよりも、よっぽどストレスも少ないし、会話によってより気持ちよくなっているようにも感じるのである。

その子との会話が終わって去る時の、雰囲気でわかる。

まだ話し続けたかったけど、またお話したいです、という感じで、気にしながら去っていくのである。

お金による幸福というと、

昨日見た記事の小室哲也の元妻の・・・KEIKOの様子である

2001年5月に自身がプロデュースした歌手・ASAMIと結婚し、02年3月に離婚。同11月に自身も参加するユニット・glebeのKEIKOと再婚したが、20年2月に離婚が成立していた。

KEIKOとも近年離婚していたようであるけれども

古い記事を読むと・・・・・・・・

 

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2013.04.06

小室哲哉 妻KEIKO献身的な愛

 2011年10月にくも膜下出血で倒れ、リハビリ中の妻KEIKOを介護しながら、自らもC型肝炎と闘病している小室哲哉。妻への献身的な愛は、金銭という形でも示されており、詐欺罪での裁判では衝撃的な事実が明かされていた。

 【以下、09年1月22日の本紙より】

 著作権譲渡をめぐる5億円の詐欺罪に問われた、音楽プロデューサー小室哲哉被告(50)の初公判が21日、大阪地裁(杉田宗久裁判長)で開かれた。保釈以来、約2カ月ぶりの公の場。裁判長から職業を問われ、か細い声で「音楽家です」。長い髪は短く切り、無表情で反省の弁を繰り返した。検察側の冒頭陳述では、かつての億万長者が借金まみれになった経緯や妻・KEIKO(36)の歓心を買うため、さらに“借金地獄”に落ちていったことも明らかになった。

 午前7時34分。小室被告は黒いジャケットにベージュのタートルネックのセーターで裁判所入り。多数の報道陣を前に「お騒がせしました」と何度も頭を下げた。長い金髪は落ち着いた茶色に染められていた。法廷で明るみになった驚くべき転落の軌跡。2002年、妻KEIKOとの再婚が、被告の転落にトドメを刺したようだ。

 検察側の冒頭陳述によると、再婚した当時、小室被告はすでに借金まみれ。だが「破たんへの道を進んでることは分かっていた。でも、破たんする直前までKEIKOを思い切り楽しませてやりたい、思い切りぜいたくさせてやりたいと思った」と“心中”を選んだという。

 スタッフの苦言も無視して贈ったKEIKOへのプレゼントは、ブランド物の服やバッグ、時計、ベンツ…新婚の1年だけで数億。小室被告は「(KEIKOと)結婚した1年目が、人生で一番ぜいたくをしたと思う」と振り返っている。

 さらに小室被告が設立した「トライバルキックス」の社長である平根昭彦氏は、小室被告がKEIKOの機嫌を取るために100万~200万といった高額の“お小遣い”を渡していたことも供述したという。

 KEIKOの故郷・大分で、Jリーグ大分トリニータのスポンサーにも就任。その際「大分のアブラモビッチになるんだよ、いいでしょ」と英サッカーチーム・チェルシーのオーナーでもあるロシアの石油王を引き合いに、悦に入っていたという。その後、毎月1200万円のスポンサー料も結局は程なく不払いに追い込まれたが…。

 前妻の元歌手Asami(33)=01年5月結婚、02年3月離婚=への総額10億円を超えるとされる慰謝料+長女への養育費をすんなり受け入れたのも「一刻も早く再婚したかった」からだった。

 慰謝料が3億7780万円で、成人までの養育費が毎月200~390万円。Asamiは検察側の調べに「結婚して長女を出産したころから、小室被告は急に外泊することが多くなった。女性がいると思い追及すると、浮気を認めて『相手とは別れることができない関係にある』と言われた」と述べたという。

 弁護側は「今のところKEIKOの証人出廷は考えていない」とし、この日の傍聴席にも本人の姿はなかった。

 弁護側によると、小室被告は「早く音楽活動を再開したい」と話しているという。裁判所から出る際には、すっかり日も暮れ、雨が降っていた。被告はいったん乗った車を降り、傘もささず「反省しています」と報道陣に向けて、再び頭を下げた。ファンからは「頑張って」と声援が飛んだ。最愛のKEIKOと再び、ステージに戻る日は来るのか?

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もともとは普通の暮らしをしていた人でも、お金が手に入れば入っただけ、どんどん快楽順応してすぐに何も感じなくなり、さらにもっと、大きなお金が必要になっていくという・・・・快楽のランニングマシーンに陥るのは・・・・・・どんな人間でも恐らく一般的に陥る現象のようであるけれども・・・・・・・これに付ける薬というのは、我慢とか抑制よりも、教養によって、人間の感性に対する客観的理解を深めることのような気がする。

小室哲哉も基本的には、成功やお金を追求し続けて、女には贅沢さえさせれば、幸せにさせることができると錯覚していたようだけれども、それにも多くの困難が伴ったようだ。

基本的に生物学とか脳科学とかの側面からみると、人間を最上の幸福で満たすことはもともと不可能なことであって、どのようなことをしても、通常は、もともとの設定点がある。必死で誰かを無理に喜ばせ続けたり、幸せにし続けたりしようとすると、そのストレス負荷の方が大きくなり、がんばりすぎることによって破綻するケースも多いかもしれない。