努力することは、美徳なのだろうか・・・・?

努力することによって、得たいものがもう何もなくても、努力したほうがいいのだろうか。

内発的なものがまったくないと、体裁くらいにしか、努力してるフリできない気がする。

もうこの歳になると。

「教えを守ってしっかり努力すれば、かならずキラキラした幸せ者になれる。いつか救済が得られる。」

なんて全く今は思い込めないからなぁ・・・それだけの教養が既にある。

生存上、必要な範囲の努力までは否定しないけど。

毎日、決まった時間に朝起きて会社に時間通りに行く努力とか。

日常生活が成り立つくらいの生活費を得るために労働する努力とか。

人は・・・なぜ・・・仕事をがんばるのだろう。

1.お金が今まで以上に欲しいわけでもない

2.今以上の地位になりたいわけでもない

3.なんか賞を取って名声を獲得したいわけでもない

4.最低限度のルールさえ守っていれば、仕事はできなくても、何か処分(解雇含む)されるわけでもない

5.お客様のために働くことも、会社の発展のために働くことも、求められていない。むしろ潰された

自分の状況だと、とりあえず、雇用さえ守られてれば、あとはそれ以上会社に望むものもないし

自分が提供するものはなんなのかというと、ルーティン業務を淡々とこなす

このくらいだ

ほんと、欲しいものがあるわけでもないのに、バリバリ働く動機が全くない・・・・・・・・

「どう働くか」「働く目的」「働く意味」・・・・・・・

いわゆる・・・・「労働哲学」とは・・・・・・・・・・・・・・・・

チャットで話題にしたら、クロさんがそれに関する本教えてくれた

発注した

ハンナ・アーレント「人間の条件」

この人、しばらくまえの哲学者だったかな

「どう働くか」に関しては、「哲学に基づいた信念」でやるもんにも今は思えないけど

あくまで組織のタイプに応じた「処世術」というのがあって、

こういうスタンスであれば、対人ストレスを回避して、一般的にある程度の不幸を回避できる

そこそこの立場にはなれる・・・・・・みたいな一般法則はある程度あるようだけど

組織社会学に書いてある年功序列制組織の処世訓を読むと・・・・・・・・・・

これだと仕事にやりがいをもって生きるの、かなり難しいな・・・というのは感じたけど

覚えている範囲で年功序列制組織の処世訓を列挙すると

1.年配者を立てて敬い、忖度し、従属する

2.中庸・中道の美徳を心がける

3.足並みを揃える、均質性を追求する

4.分に甘んじ、和を重んじる

確かに、これに気を付けて働いていたら、めちゃくちゃ対人関係は安定する

ただ、恐らくやりがいもくそもない