本人が、好きなこと、楽しいことなど・・・

お金ではなく、快感を追求して没頭して過ごした人は

その結果、成功しようが、しなかろうが、そのことによって燃え尽きることも恐らくなければ

気持ちいい思いを追求しつつ、成功を得たような人は、

恐らく周囲に感謝してお返しすることも可能なのだろうけど

地位財産名誉成功栄光栄華勝利などの相対幸福の希求それ自体を目的として

苦しみに耐え抜いて地獄のような過激な悪戦苦闘努力に基づく過酷な生存競争に没入した結果として

強引に成功したような人は、

むしろかなり負のエネルギーが蓄積されていて、

自分より弱い立場の人や、周囲の人々にマウントをするなどして、

社会に階層分断をもたらすような行動をするのかもしれない

自分が育った時代の親や教師の指導スタイルは後者のような

ツライ生き方が半ば正しいことだと信じられていた・・・・・・・

地位財産名誉成功栄光栄華勝利などの相対幸福の希求それ自体を目指した

禁欲的で求道的な努力に基づく修行のような態度ね・・・・・・・・・

それが結果どういうことにつながるのかというと、

人に対して見下した態度を取るような、かなりダークサイドの人間を量産することにもなるようだ

相対幸福というのは個人個人がみんなで争って過激な競争をすれば、みんなの救済につながり、社会は発展していくのかというと・・・・・もともと数の決まった椅子を取りあうゲームでしかない側面もあって・・・また、資本主義社会の宗主国である能力主義や実力主義を追求したアメリカ社会の推移の様子をみていると、完全に社会が分断される流れになり、内戦が勃発しそうな状況になっているところをみると・・・・

従来、正しいと信じられてきた資本主義の精神にも重大な問題があるような気がしないでもない

自分のコンプレックスを子供を使って解消しようと、強引に過酷な生存競争を走らせたりする人も以前より、今の方が増えているのかもしれない。

本人の能力では絶対に実現できない「国立大学」を上からの態度で親が無慈悲に指定するとか・・・

社会の生存競争が加速化して、無慈悲なヒエラルキー構造で苦しんだ親世代が、そういう教育をすることに現在はつながっているようである。

この種の冷徹無慈悲な能力主義に基づく学歴生存競争は、アメリカ、中国、韓国・・・格差の広がった国で過酷化してきている様子である。

不安、恐怖、絶望、過度のストレスやプレッシャーと孤独に戦いながら、

自殺スレスレのところで、多感な思春期の子供が、ひたすら空虚な学歴生存競争・・・・

偏差値競争を、自分の能力以上の無理をして走る・・・・・・・・・・・・・・・

そんなことをして人様に尊敬されるような人間性が育つようには・・・思えない

人間の性質や特性には遺伝子や幼少の頃の環境で決まっている部分もあるかもしれないけれども

他人に対する見下した態度やマウント傾向というのは、

経験の中で構築されてきた「価値観」の影響もある程度あるのではないかという気がする

常に完璧主義を実践し続けて、失敗したことがない人よりも

挫折の経験によってその価値観に一定の修正が自然にかかることもあれば

過激な生存競争環境から離れて、好きなことをやっている中で、

ある程度、毒が抜けていく場合もあるかもしれない・・・・・

過酷な生存競争とマウント傾向の形成が、全く関係ないようには思えないんだよねぇ

時には人間には、徹底的に訓練して鍛えぬいて戦場で戦って勝利しなければならない状況もあるけれども

帰還兵がひどいPTSDを背負っていて、

ちょっとしたことで一般人に反射的に馬乗りになり暴力を振るう・・・・・なんていうこともある

後遺症を抱えた病人でもあるのだろうけれども

例え、親や教師や上司が言っていることだとしても、

あまり他人の話しを真に受けて鵜呑みにして、そのまま従えばいいってもんでもないのかもしれない

ああすればこうなるもんでもないことに関して、ゴリ押しでどうこうしても、いいことあるのかどうか

「遺伝子」「時代」「世の中」

この複雑な相互作用・交互作用によって一定の結果になってくるのだとすれば・・・・・

他人に対する指導とかも、自分の期待した側面の結果に関しては、

俺の指導実績だと誇って、周囲のみんなも指導者に恩を感じて感謝しているのかみたいな態度だったり

期待しない側面が出た場合には、お前の自己責任なのだから、自分で反省して改めろとか・・・・・

若い頃はほんとそういうものを真に受けていたけど

そもそも人間の言っていることって、そこまで全うなものですか・・・・?

斜めから疑う態度も、生きていく上では大切なことなのかもしれない

常に学び続けて教養を得ることとか、考え続けて洞察すること・・・大切なことだ

ずるいやつらに虐げられ利用されないためには