日本では政治家が全然信頼されていないけど。

自分からすると、政治家に限ってそんなに醜い存在であるようには思えないけど。

基本的に、政治家に限らず、多くの人間一般は・・・・・・・・・・

ひいては自分とせいぜいその子供のことくらいしか考えてないのが現実である。

だから、政治家にとって国民というのは実際はどういう存在なのかというと。

自分の「献金」と「票」を支える存在でしかないはずである。

政治家は自分が当選しなければ、政治ができない。

そのため、自分の支持者の利益を支える代表者となって活動するのが一般的である。

主にそれを動かすのは代表や窓口が目に見える形で存在する団体からの組織票や政治献金である。

政治家にとって一番の関心ごとは、システムの構造上、

次期選挙で当選するだけの票が得られるかどうかにならざるを得ない。

民主主義国家における政治家の活動の中心は、

そのための「政権浮揚効果」「人気向上」を狙った対策になるということである。

できるだけ効率的に多くの票を集めて他の候補者を出し抜いて当選するための競争をしなければならないので、そのためのパフォーマンスやショーがとても重要になる。

しかし、一般的に政治家が掲げるマニフェスト(政権公約)というものが有言実行されることは

システムの構造上、ほとんどありえない。

日本は民主主義国であり議会政治をする国であるからである。

国会議員は約700名の議員で構成されており、

法治国家である日本では、この700名による審議と承認を経て法案を可決しなければ政策は実行に移せない。

政治家個人の政治信条がどのようなものであろうと、

民主主義国家における国会議員個人にはマニフェストを確実に有言実行できるほど強い権限は最初から全く与えられていない。

議会政治なので、支持者の中で調整された最大多数派の要望に基づいて政治家は活動し

さらに国会の中でも最大多数派の考えに従って物事が進むのである。

また、法案に関しては、政党や政治家が立案するようなものは全体の1割もなく、

9割以上は官僚が作成したものをそのまま通過させるようなことしかしていないようである。

民主政治には数の力・・・最大多数の最大幸福原理が働く。

だから、最初からみんなが持っているのと同じような一般的な期待や要望を偶然、持ってないと

国民の政治的な思いが政策となって実現されるようなことはまずない

自分がどれだけ政治に関して詳しく学んで精通して力のこもった一票を投じようと

何も考えてないし何も調べてないような大勢の一般人が

メディアに流されるまま投票するのと同じような考えを初めから持ってないと

なかなか期待通りに政治が動くということもない

政治家の任期は衆議院で4年、参議院で6年となっている。

政治家はこの選挙のタイミングごとに票が得られやすくなるような活動をすることが中心課題になる。

割とすぐに任期が来てしまうので、あまり中長期に及ぶ政策課題のために行動しても

有権者は選挙のタイミングごとでは評価できなくなるので、

政治家も票にならないような公約はあまり掲げることはない。

政治家の任期の関係でも、ある程度、今その場だけの活動にならざるを得ないことになる。

それから、民主政治は数の力で動くので、票田になるような年齢層や団体の方向を向いて活動をする。

現在、有権者の年齢中央値は50代半ばくらいである。

有権者の半数近くは高齢者なので、

少子超高齢化した民主主義国家においては、

システムの構造上、老い先短い高齢者の利益が最優先になる。

こういうのを踏まえた上で、それぞれの有権者がどう行動するのか、

それぞれが考えて決めるのが民主主義である。

国民はそれぞれの立場において様々な期待を持って投票所に行く場合もあるけれども

政治がどう動くかは、与党支持か、野党支持か、

まぁ、それだけの二者択一ですべての政策セットを受け入れるような形にしかならない。

実際は、殆ど、なんなのかもわからないのである。

自分の一票がどのようにして国政とつながっているのか、

実際は、ほんと全くさっぱりわからないのである。

みんなで決めたという「てい」にしているだけのお祭り騒ぎである。

自分が政治家に個人的に何を期待していようが、

いちばん大勢の人がどんなことを望んでいるのか・・・

自分の期待がたまたま偶然それと一致しているかいないか・・・・そういうことなのである。

だから、政治家が自分の期待外れの活動をするのは、殆ど、当然のことである。

それに関して政治家には何の罪もないのである。