「#生涯子供なし」って日経プレミアシリーズの本、
まぁ、自分も結婚しないと自己決定した当時に自力で考えて気がついた大事な視点が書かれている。
「結婚しろ」だとか「子供はまだか」とか「たくさん産んでほしい」とか国や世間が訴える割には、
結婚したり、産んだ後は、基本的には自己責任とか親の責任にしかならないという矛盾だよね。
いやさ、自己責任に帰結されるのであれば、
自由権に基づく選択権がなければおかしくないか?ということ。
自分の持った家庭に対して責任を負い保障するのが個人に帰結されるのであれば、
結婚するかしないかや、産むか産まないかは、個人の責任で自己決定できないと・・・・・・・
まず今その場の自由主義社会の秩序の基盤すら成立しなくなるのではないかってところだよね。
まぁ、これは慣習的に男に負わされた家計に対する責任とか・・・・
女からはかなり高レベルの経済的な責任能力が求められている・・・・・・・・・・
実際は、個人が失業するかしないかなんて、殆ど個人の能力によって左右されるものではなく
たまたま偶然所属していた企業体の業績や、たまたま偶然いた自分の配属先などによって
リストラなどは大部分が左右される。
だからいついかなるときも、男が完璧な経済的責任を果たすべき・・・
なんて女の期待に応えようとしたら
国家が体制崩壊した時や、ハイパーインフレになたっときの生活保障まで自己責任で考えなくてはいけないわけで
そうなってくると結婚なんかできないんだよね
これは、女性で言えば、子育ての結果に全て女がひとりで責任を負うようなものだ
子供が悪さしたら、妻が、夫から「おまえのしつけがなってないからだ!」と怒鳴りつけられるようなものだ
子供が「子ども部屋おじさん」になったり「8050問題」になったら、妻ひとりの子育ての責任みたいな。
実際は、家計も、子供の育ちも
どうなるかなんて、9割以上は運や偶然に左右されているにも関わらず。
まぁ、近年でいえば社会的に過去最高数を更新し続けている子供の不登校とかに関しても
「たくさん生んでほしい」とする国家が支援したりはしていない
「出社できないなら辞めてもらえる?」
子どもが不登校になり、家で様子を見たいと会社に相談すると退社を促される。
学校からは不登校について「親に原因はないか」と聞かれて苦しむ。
他に相談しようにも「どこがよいのかわからない」。
産まない女性には、何か人生でするべきことをしていないかのような視線が投げかけられる。
一方で、産めば重い「自己責任」を負わされる。
産んでも罰を受け、産まなくても罰を受けてしまう。
そんな構造が日本社会の底にある。
子どもの不登校も恐らく9割以上は運や偶然によって生じているとみていいのかも。
遺伝子と環境の複雑な相互作用・交互作用の中で決まってくるものであって
物事に関しては、原因と結果が、1対1で対応しているようなものはなく
基本的にはひとつの結果が生じるには、遺伝子の影響が半分くらいと、
それぞれが数%しか関連していないような複数の雑多な環境要因が複合して残りの4割くらいを左右し、
本人の意思や努力といったものは基本的には1割くらいしか影響していないだろうし
本人の意思や努力でさえ、半分は遺伝子、半分は環境によって決まってくるというようなのが
ある程度、行動遺伝学で明らかになってきている
こういうの、「不登校の原因は親御さんにあるんじゃないですか?」とか、「いや、教師にあるんじゃないですか?」とか、そもそも、教養が足らない人たちの責任の擦り付け合いでしかないんだよねぇ。
どっちもモンスターである。
モンスターペアレンツだけでなく、モンスターティーチャーもいる、ということだ