ほんと・・・・・この世の中どうなっていくんだろうね。

自分自身の行動も・・・世の中という大きな潮流の中で、必死にもがいていた。

大学受験と国家試験までは能力主義だったけれども。

日本の企業社会は能力主義ではなかった。

当初は能力主義的なスローガンだけは煽られていたけれども、

その通りに実行すると猛烈に潰された。

言われた通りに真面目に仕事に取り組めば取り組むほど激しく潰される現象を解明するために

人間科学や社会科学の本を読み漁るようになったのは23歳からで

その模索の中で、日本の財政赤字の累増がこのまま続いた場合、どのような事態になるか・・・・・

という本に出合った。

そして、国家財政破綻やハイパーインフレに対して個人で出来ることとして

金投資を開始したのが24歳の時だった・・・・・・・

生活保護水準以上に質素倹約して、グラム1300円当時に1年間で180万円(1Kg以上)金貨を買いあさった。

それは日本が破綻するまでずっと続けるつもりだった。

法で保障された自由権と私有財産権に基づいて合法的手段で投資をしていたが

日本国民から「自分だけ生き残ろうとすることはいけないこと」だとの批判を受けて

道徳的呵責から逃れようと、26歳の時点で全て売却することになった

その結果、この国では、将来、家族に責任を負い保障することはできなくなると判断して

この時点で、この人生における結婚を、諦めて

26歳からは、「今その場しかない世の中、今その場しかない政治ならば、俺自身も今その場だけを刹那的に消費して生きる以外に方策はない」との人生指針に変わり、金を売却して得たお金で趣味を拡張した。

魚釣り、スノーボード、ピアノ教室、水彩画教室、トレッキング、美食、キャバクラ・・・などいろいろ始めたのが、26歳~30代前半頃だった。

30代になると、このようにして一人で遊んで暮らしている自分に対して

「結婚しろ!男は結婚してこそ一人前だ!」という強烈な圧力が世間からかかる様になった。

でも、自分の場合は、国家財政破綻対策で行っていた金投資を、自分だけ生き残ろうとすることはいけないことだとの指摘によって、辞めたことによって、家族への責任能力と保障能力を完全に失ったとの判断で結婚を諦めていたので、「結婚しろ!」というからには、「今すぐみんなで協力して国家財政再建しろ!」と返すしかなかった。

まぁ、あれだよねぇ、定量的に考えて金持ち増税なんかでは全く話にならないことは明らかだったから、まぁ、消費税40%なり、年金1/4なり、現世代の負担は現世代で負うということだよね・・・みんなで協力して・・・でも、そういうこと言っても、日本の世間からは激しい潰しに遭った。

自分だけ生き残ろうとするのもダメ、かといって、みんなで協力して解決する意思も全くない

けれども、結婚はしろ・・・・・・・・・・・・・・・・

まぁ、国の財政破綻を織り込んだ上で、家族に責任を負い保障するにはどうすればいいか・・・・・・

そこを考えて、いろいろ周辺状況を調べた結果・・・・・・・・・・・

30代前半の段階でも、フルタイム共働きで家事育児家に入れる稼ぎの額平等分担の結婚なら・・・まぁ、今後の社会にも対応できなくもないのではないかとも思ったけれども

「男は女を養うべき!」というヒステリーな社会に潰されただけでなく

当時の会社はまだ男性社員が家庭事情でいきなり仕事を抜けることは誰も出来ない状況だった

あの当時フルタイム共働きしていたような人は、祖父母がたまたま同居していて、子供の万が一のときの対応ができていたような家庭くらいだった

だから、まぁ、結局はそういう流れで結婚しないことがはっきり決まったのが35歳くらいだろうか

あとは一人で酒飲んで、今その場、暮らすだけになったけど

仕事はかなり早い段階で潰されて、諦めて、資産形成も、諦めて、結婚も、諦めて。

まぁ、それで30代後半以降は・・・・・半生を振り返りつつ、いろいろ考える時期だったのだけど。

まず、「人間の幸福とは何なのか」

国家資格を取って一定企業に入っても、仕事頑張っている頃は苦しいことばっかりだったし、激しい潰しによるストレスで精神疾患にもなった・・・・・全く幸福実感なんてなかった。

趣味でどれだけリア充を追求してもしばらくして飽きる・・・お金を稼いでも使ってもそのうちなんとも感じなくなる。

こういう自分の心理はなんなのか・・・・・自分がおかしいのか・・・・・あるいはそういう生体システムを人間はもともと持っているのか?など詳しく調べ始めたのは30代後半になってからだった。

あとは、社会の流れを踏まえての自分の歴史だよね。

1990年代後半に、アメリカから日本にネオリベラリズム(新自由主義)の考え方が流入してきていた。

4字熟語で表現すると、いわゆる、優勝劣敗、弱肉強食、適者生存、自然淘汰・・・・的な考え方だよね・・・・入社当時の職場環境はその影響があったように思うけど、人事賃金システムは、厳格な年功序列制の組織風土のままだった・・・・・これだと、まぁ、スローガンが過激な能力主義を煽っていようとなんだろうと、システムに沿った適切な立ち回りはなんだったかというと、年齢相応の適切な成長速度を保って、年配者を立てて敬い忖度し従属しつつ、なるべく、中庸、中道を心がけるような立ち回りが本来、組織では、ウラの掟として求められていたと考えてよかったのかもしれない。

それをはっきりと組織社会学で知見を得て認識したのは、もう40代になってからだった。

最近では岸田政権も・・・ネオリベラリズムと決別したいらしく「日本型資本主義」というもの・・・まだイメージだけで具体的内容までは定まっていないけれども、そういう方向性を打ち立てた。

結婚を取り巻く情勢はどうだったかというと、やっぱり、最近になって読む、無子化に関する本とかでは、2010年代くらいから、確かに自分が遭遇していたような社会の動きがあったようである。

つまり・・・まぁ、従来は女性には経済力は求められておらず、女性は低所得な人ほど婚姻率は高い傾向にあって、キャリアのある女性ほど結婚しない方向にあったのが、2010年代頃からは、女性も、所得を求められるようになってきて、ある程度、結婚しやすい女性というのは、ライフワークバランスが整った、結婚出産後も継続的に正社員として勤務し続けられる条件下にいる大企業女性・・・・こういう人が、婚活市場でも有利になる流れが・・・あったというのは、最近読んだ本でわかった。そして今後は、20~30年くらいすると、国民の生涯未婚率は1/3~半分くらいになると考えられている。

これは、自分一人だけのテーマじゃなくて、自分自身も大きな社会の流れの中の、ごくありふれた存在の一人としてもがいていただけだったんだな・・・・と。

少子化とか無子化とかに関しても、自分がどうしたからといって、世の中がどうなるわけでもない。

現在の合計特殊出生率は、日本が1.26、韓国が0.72、中国が1.09・・・・・・・・・・・・

こういう社会の傾向って自分が結婚したからといって、どのようにもならない

国連人口基金によれば、人口政策には効果がないと断言している

で、今後の自分はどうなるかというと、あとは定年退職まで働いて・・・・・・・・・

最後どうなるのかは・・・はっきりとはわからない

身寄りのない高齢者として・・・・まぁ、保証会社みたいなのも最近あるようだけど

まだまだ市場は整備されていない・・・怪しげな、小規模の事業者が乱立しているようである

うーーーーーーーーーーーーーーん

まぁ、身寄りのない高齢者とかいうのは、生涯未婚だった人だけがなる存在なわけでもないけど

生涯未婚率は現段階で既に男性で3割近く、女性で2割近く居る・・・・・・

まぁ、どうなるかなんて、わかんないけど、しょうがないよな

ちなみに、政府債務の累増と財政赤字の発散については・・・・・・・・・・・・

資本主義経済体制下では、時間経過と共に常にそうなるのは、システムのメカニズム上そうなるようである

政府債務と個人金融資産がどんどん増えて、最後、お金の価値が薄まって

市場に溢れた資金が株式市場や不動産市場でバブルを形成して弾ける

そしていずれコモディティ(実物資産)などが選好され、

金融システムがマヒし、それが実体経済に影響して世界恐慌になり、貿易摩擦が深刻化して世界大戦などになる

ある程度、こういうような大局的な流れは繰り返されるようである

覇権交代もある・・・・・・・・・・

今は情報や技術の世界への伝達速度というか拡散速度がどんどん加速しているので

文明の興亡サイクルも非常に速い・・・・・・・・・

アメリカの衰退によって、BRICSが同盟国を増やし、対抗するようになった

そして中国ももうピークアウトしていて、次は、インドの動向が注目されつつある

うーーーーーーーーーーーーーーーーん

日本も、子供が生まれないのであれば、移民を受け入れない限りは、深刻化した労働力不足は、中小企業から人手不足による深夜にまで及ぶ長時間労働が常態化していくことになるかもしれない。

そうなると、ライフワークバランスは崩壊するので、益々、結婚しない人が増える。

さらに、これが超円安下で進行していくと、移民を受け入れるどころか、日本人自体が出稼ぎするために国外へ出ていく事態にもなり得る・・・・・・・・・・・・・・・・。

ほんと、まじでなんの展望もない・・・・この資本主義社会システムと日本国・・・・・・・・・・

ほんと終わってるよね・・・・・・・・・・・・・・

まぁ、ほんと買い込んでいた金貨を全て売却して「死ぬまで生きるだけ」の方針を選択した26歳の時は、大きな人生の転換点になったけど、方向性としては・・・やっぱりその線で良かったのかもしれない。