首相や政治家に対する「責任を持った有言実行」を求める国民からの叫びはどういうものだろう。

議会政治だと、議会による立法措置を経ないで首相の独断でやれることがどれくらいあるのかもわからないし。

国会議員だって700名もいる。

誰か自分が支持する一人の国会議員の政策思想で物事が動くことはありえない。

いや、システムのメカニズムからすると、

政治家のマニフェストはむしろ実行できないのが当たり前のような気がする。

国民個人がそれぞれどういう立場で何を政治家に期待しているのかもそれぞれ様々だけれども。

相反するような政治思想を持った議員同士もいっぱいいるわけで。

で、支持者の中の最大多数派とか、あるいは、議会の中での最大多数派とか・・・・・・・・・・

まぁ、その辺りの動きによってマニフェストが責任を持った有言実行につながるかどうか大きく左右されるだろうし

議会政治だから700人の中のひとりがどんな公約していようが、全員で審議して承認され法案を通過させなければならないからである。

これはもう政治家個人の力量の範疇を遥かに超えているだろう。

あと、日本の政治は、国会より上位に、内容非公開で行われる日米合同委員会がある。

そこからトップダウンで降りてきた指令には、基本的に日本はなかなか歯向かえないところもある。

民主主義国家の政治家には独裁者のような強烈な権限は初めから個人は持っていない。

独裁者だって腹心の動向を無視して勝手に独断で国を動かせたりはしないのだし。

政治家の責任ある有言実行って・・・・・・そもそもどういうことなのだろうかというのもある。

700名で審議して承認するものだよね・・・・もともと。

なんでそういう当たり前の認識が国民にないのかというと

もともとメディアとか政権自体が、なんか民主主義に対する幻想によって、

初めから国民に錯覚を植え付けてるようにも思う。

期待だけさせておいて、実際のシステムの本当のことに、

あまり気が付かれないようにしているのだろうか。

あと政治家は初めから国民のことを考えて行動したりはしてないだろう。

人間は、自分とせいぜいその子供のことくらいしか、考えられない。

ひいては自分とその子供のために政治家になっているようなものではないのだろうか。

国民は「票」でしかない。

「票」を得て当選できなければ、政治はできない。

だから、基本的には次期選挙に再選するための票集めにつながるような、

政権浮揚効果ばかりを期待したような政治が基本になる。

問題ある宗教の組織票とも手を切れない。

票があってこそ当選できるし政治家になって政治ができるからである。

それから選挙はかなり短いタイミングで行われる。

選挙のタイミングごとに一定の成績として評価できるような政策しか初めから立案しにくい。

国家100年の計なんて打ち立てても誰も反応しないし、評価することもできない。

中長期的な国家の展望を描いて政策立案しても、

選挙のタイミングごとではなんともいえないので、

それは票に繋がらないからもともと軽視されるのだろう

政治家が、そのば凌ぎ、とか、先送り、とか、今その場のバラマキ、とかになるのは

システムの構造など一定の背景によって起こるべくして起きてるようにも見える。

政治家が無能なのか、それがシステムの構造上、政治家が再選するための最適生存戦略なのか。