仕事を全力で頑張れというのは実はフェイクで

出来すぎても絶対ダメ

かといって出来な過ぎても絶対ダメ

自分だけ生き残ろうとするのも絶対ダメだし

かといってみんなで協力して解決することも絶対にしない

それでもとにかく結婚しろ!

ただしそれを言う自分はなんの責任も負わないし保障も一切しない

自己責任でお願い

それじゃ、不安すぎて、なんもできなかったわ

結局、淡々と死ぬまで生きるだけの流れになった・・・・・・・

生きること=淡々とした日々の生活

人々の、政治に対する不満っていうのは、どういう構造になっているのだろう

基本的にはそれぞれの立場において自分が生きていくための障壁になっている外部環境に対して

そのまま不満を言っていることが多いけれども

その解決のためにはどういった手段がありえるか・・・

あるいはそれを民主主義的な政治システムの中で追求可能なのかどうか

そこまで考えて、それが現状のこの国にとって実際に取れる選択肢なのか・・・・・・・

少しその辺りを考えてみると、まぁ、政治家が無能だからダメだ、とかだけじゃなくて

たぶんもともと政治に取れる選択肢も、それほどないんじゃないか・・・・・・

なんて気が付く場合もある・・・・・・・・・・・

あと、この国の政治は基本的に国民からのボトムアップで動いているわけではないような気がする

恐らく国会よりも、内容非公開で行われている日米合同委員会の方が力があるかもしれない

政治に対するスタンスというと

政治に自分が何を期待するかとか、どうしてほしいかというよりも

与えられたあるいは将来予測される政治環境の中において

自分自身が個人の選択でどのように生きていくか・・・・・

そこを考えることくらいしかできない

民主主義システムはみんなで決めたという「てい」にしているだけであって

自分の政治的ニーズとは全く無関係に動くので、

まぁ、独裁政治でもほとんど変わらないのではないか

というのもあるし

言論の自由とか、表現の自由とか、思想信条の自由とか

ある程度、好きなこと考えて、言って、表現できる・・・・

これを楽しめることがある程度、この政治システムにいることのメリットかもしれないけど

殆どそれだけで、世の中がどうなるというわけではないけど

全くなんの展望もない国で生きていくには、

身ひとつで、身辺をできるだけコンパクトな状態に保って、なるべく今その場だけを生きる

なんてことになったけど

まぁ、他にもっといいと思える生き方は発見することはできなかったから

それもひとつの答えなのだろうし

当初、この人生でやろうと思っていたことは、どういう仕事がしたいとかいうのはなかったけど

とりあえず自分も結婚して子どもを育てるのだとは思っていたけど

途中で世の中の状況に応じてそこには修正がかかった

諦めというよりかは、状況に応じた生き方の修正だよねぇ

未来に全く展望のない国に子孫を残すよりかは

ひとりのままでいようということになった

あとは死ぬまでひたすら生活するだけだ

政治家が無能っていうのはなんなんだろうね

政治家にどういうことが出来たら、有能と評価されるのだろうか・・・・・・・・・・・

そこはそれぞれの立場で期待しているものも違うだろうし

選挙で当選した人達が、自分の利益を代表することはほぼないわけだけど

自分は、最近は・・・今までもかもしれないけど

無能な政治家をあまり呪ったことはなかった

民主主義システムによって選出された議員が、自分の支持者の利益を代表して行動している

ということであるから、それが俺の都合と関係ないところで動くのは当たり前なことだし

まぁ、でもたまたま偶然、パワハラ防止法みたいなのできてくれたことはよかった

職場環境がある程度楽になるような一定の保障につながった