今日、居酒屋のマスターとも・・・一部、話したけど。

この世の中のへんな感じ。

学歴偏重社会から来てるんじゃないかって気がしないでもない。

個人の学業成績に関しては、行動遺伝学分野の研究で次のことがわかっている。

 

〇個人の学業成績の説明率でいえば、

 遺伝子の影響 50%

 親の教育やしつけの影響 5%

 本人の努力 10%

 その他数%しか関連しない雑多な環境要因の複合 35%

で構成されている

努力できるかどうかに関連する「やる気」や「集中力」も半分は遺伝子、半分は環境によって決まっている。

 

〇遺伝子の影響を数値化したポリジェニックスコアで検討してみると、スコア上位25%と下位25%で、環境や努力の影響を無視しても大学進学率が4倍もの違いがあった。(アメリカ)

 

まぁ、人間の特性や能力に関する、遺伝子と環境の影響の強さを考えれば・・・・・

子どもに私立中学受験を強要して、子供を自分の時間に勉強漬けにして過激な生存競争をさせる

なんてことをしても、小学生まで偏差値で人間を差別して、バカにしたりするようになる。

それだけでなく、物事に取り組む姿勢にも影響する。

本来、休息すべきプライベートな時間においてまで「常に努力して常に成長すべき」なんて考え方をし

それを自分だけでなく、他人にまで強要して、他人の健康を破壊して不幸にしたりする。

で、そういう無理で不自然な熱のこもった専一の悪戦苦闘努力をして生き残った者ばかりが、社会で指導的な立場になる・・・すると、その人たちは自分と同じ取り組みを他人にも求めるようになる。

フリーターでいけないのかというと、全くいけなくないだろう。

フリーターという立場は、そもそも事業者や国家の求めに応じて設定された立場であって、社会的なニーズのもと、初めからそういった労働者の枠が世の中に存在しているのである・・・。

で、社会のニーズに応じて設定されたあらゆる立場の労働者の生存権を保障するのは、自己責任ではなく、政治責任や社会的責任なのである・・・・・。

さらに、過度の地位財産名誉を得ることを希求して、長期に渡って悪戦苦闘努力をすること・・・・・

これがそんなに素晴らしいことかというと

そういうものによって得られる人間の快感は一過性の蜃気楼のように消失する・・・・・・・・

いっぱい成功してお金を沢山使って大豪邸を建てるとか、高級外車に乗るとか、毎晩高級料理を食べるとか・・・・・しばらくすれば快楽順応してなんとも感じない。

どうも長期にわたる悪戦苦闘努力と、その結果得られる快感が釣り合わないのである。

「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されていれば

努力しないと得られないようなものなど求めなくても、人間は快感を得られる。

たとえば

ランニングなどスポーツを楽しむ

読書をする

友人や家族とコミュニケーションを楽しむ

生活に音楽鑑賞を取り入れてみる

手芸を楽しんだり、絵を描いてみる

こういうのは、資産数十兆円ある人でも、求める人はいる。

そして、このような楽しみは、無産階級でもできることである。

貧乏で生存に不安を持った人が、それが原因で犯罪を犯すような社会は・・・・・・・

個々に犯罪者を断罪しても、社会的な原因が排除できなければ、全く犯罪抑止にはつながらないけど

社会が荒廃してくると、そのような事件はやがて増加していくことになる

うーーーーーーーーーーーーーん。

なんだろうね・・・・・・・・・・・・・・・・

例えば、昔は、血縁で社会的地位が決まっていた。

それに対しては革命が起こり、有能な者も高い地位に就けるべきだ、ということになったけれども

それは過度の能力主義社会を形成するようになった。

お金を稼げる能力というかなり限定された能力が人よりもあるかないか、これによって

卑しい人間だと思われたり、尊敬される人間だと思われたり・・・・・そういう意識が社会に形成される

ただ、人間の能力に関しても、本人の意識や努力というよりも、遺伝子と環境の問題なのである。

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。