最初の長が強烈に煽ってたキャッチフレーズ

「ステップアップの転職ならいいが、会社が合わないとか、ネガティブな動機での転職だったら、どこ行っても通用しないぞ!」

「会社を踏み台にして、どんどん成長しろ!」

「常に現状に満足せず、常に追い付け追い越せで切磋琢磨し、常に努力して常に成長しろ!」

「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない!」

今考えると、これ全部間違ってるけど、

こういうの毎晩強制される飲み会で22時半まで一方的に聞かされてた。

一回5000円。週4回。

脳科学的に考えてみると、ステップアップして仮に条件の良い会社に行っても・・・・

約半年間でハネムーン効果は消え、その後は、やはり、もとの心理状態に戻る。

どう生きても、苦しいこともあれば、不満も生じるだろう。

一時的に、生化学的な状態は変動するが、やがて、もとの状態に戻る。

そもそも、会社の規模や、安定性、労働条件や、給与とか・・・そういう面でいうと

ステップアップといったら、公務員や財閥系企業・・・このくらいしかないかもしれない

あと、年功序列制組織においては、若年者に対して、競争を煽るのは、明らかに間違っている。

先輩を出し抜くようなマネや、出過ぎたマネは、一番やってはいけないだろう。

こういう組織で最も適当なのは「中庸や中道」である。

それから「常に努力して常に成長」これも間違っている。

持続する過度の精神的緊張は健康を破壊し不幸になる。

脳科学的に人の幸福について考えると

「浪人・留年しないで卒業して有用な資格を取って新卒入社し、順当に昇進すること」

なんてこだわっても何の意味もない。

これをやっても人間の幸福には殆ど関係ない。

基本的に人間の幸福には、地位財産名誉成功栄光栄華勝利というものは大きくは影響していない。

これらはドーパミンによる蜃気楼のような一過性の快楽をもたらすが、すぐ消える。

22歳の年収400万円も30歳の年収550万円も40歳の年収700万円も・・・・・・・

こういう変化で、幸福感が随時、上昇していくということもあまりない。

「一通り生活の必要が満たされた状態」「落ち着いた静かな生活」

こういうものがあって、「過度のストレスやプレッシャーがない状態」

こういうものが得られていれば、もう、年収がいくら増えようが、そこでほぼ幸福感は頭打ちである。

あとは、それぞれの立場において、

生活に時々、アクセントとなるものがあれば、

それでほぼ、人間の幸福にとって必要な条件は手に入れ終わってる。

生活のアクセントというと、いろいろ人によって違うけど、例えば・・・・・

〇 時々、スポーツを楽しむ

〇 生活に音楽鑑賞を取り入れてみる

〇 読書を楽しむ

〇 友人や家族とコミュニケーションを楽しむ

〇 手芸を楽しむ。絵を描く

まぁ、そういうもんだよね。

人間の幸福とは殆ど関係ないのは

〇 豪邸に住む

〇 高級車を買う

〇 毎晩のように高級料理を食べる

〇 そのために過度に所得を増やすために、有名企業にステップアップの転職をし、仕事で悪戦苦闘努力する

これは人間の幸福にはあまり関係ない。

人間の快感は、主にドーパミン、セロトニン、エンドルフィン、オキシトシンによってもたらされる

オキシトシン以外は、ほぼ一過性にしか分泌されない。

オキシトシンは愛着ホルモンであって、親しい人との交流や、あるいはペットなどの動物を飼うことで分泌されるようなホルモンである。

大金をかけて豪華な生活をしても、快感は一瞬で消失して、もとの生化学的な幸福度の設定点に戻るのであれば、豪邸や、高級車や、毎晩のごちそうは、すぐに快楽順応して何も感じなくなってしまう。

それらは高額のお金が必要で、仕事で無理な頑張りが必要になるかもしれないが、それによって得た豪邸や高級車や毎晩のごちそうによる快感は、すぐに消えて、もとのただの日常の状態になるのである。

8000万円分も労働して一戸建てを買っても、得られるのは、

しばらくすれば感動のないただの住居である。

もともと人間の快感が一時的にしか得られないのであれば、

一時的な行動で手に入るものを求めるのが合理的なのではないだろうか。

つまり、スポーツ、音楽鑑賞。読書、コミュニケーション、手芸や芸術に取り組むなど、

そういうもので十分なのである・・・

いわゆる、誰でも苦労せず手に入る趣味程度のもので十分、快感物質は分泌される。

こういうものは、ビルゲイツやイーロンマスクでも楽しむだろう。

要するに、趣味や文化的活動による快感は、資産数十兆円の大富豪でも欲しがる。

そして、それは、無産階級でも容易に手軽に行えて、手に入れることができる快感である。

自分の場合は・・・

一人暮らしでお金はほどほどにあるけれども、今は飲み屋は会話しに行っているようなものである。

つまり、多くの人は、友人や家族としているようなただの会話にお金を払っているだけで

俺が飲み屋で話している会話の内容は、お金を払わないとしてはいけない会話というわけでもない。

ただの会話である。そこで得られる刺激も、一般的なただの会話で得る普通の刺激である。

ふむ。

恐らく人間の生体が感じる快感や苦痛というのは

「健康で文化的な最低限度の生活」これが成立していて、

過度のストレスやプレッシャー、不安定な立場からくる強い不安・・・こういうものがなければ

殆どの人は、快感や苦痛の総量の違いは、条件の違いによるものではなく、

遺伝子などによって規定される感性の違いからきているものである。

だから、本来、人間が、幸福な人生を営んでいく上では

「浪人しないこと」や「偏差値の高い大学にいくこと」や「立派な資格や職業に就くこと」や「順当に昇進すること」や「立派な家を建てること」や「いい車を買うこと」というのは、必ずしも重要なものであるとはいえないのかもしれない。

ただ、そのような行動で意味を持つのは、男性の場合は、異性を引き付けるための誘蛾灯としては、ある程度、効果的に用いることができる場合もあるけれども、それにも上手な使い方が必要であるかもしれない。