昨日のチャットでもところどころでたけど。
どう生きようが、「落ち着いた静かな暮らし」が手に入ってれば
生活満足度とか、幸福感とか、一定のものはもう手に入ってるんじゃないかって話したけど。
「落ち着いた静かな暮らし」なんて、なんの快感もないよ。
あぁ、暮らしだね、生活だね、っていうだけ。
年収600万円でも。2000万円でも、ほとんと感覚は同じだと思う。
恐らく、がんばって〇〇になんかならなくても、全然、生活積満足度は、かわらなかったと思う。
「日常生活の必要が、ある程度、過不足なく満たされて、暮らしが成立している状態」
快感も、高揚感もない・・・まぁ、でも、そこそこ静かで安定してますね、という状態。
もうそのくらいのものが手に入れば、あとは、500万円でも2000万円でも1億円でも殆ど同じ。
都心に8000万円のマイホームを買って住もうが、半年後にはもうなんでもないただの家。
独り暮らしであれば、築50年のワンルームに住んでいても、同じただの家。
しばらくすれば幸福感は同じ。
お金で、一定の刺激を買うのであれば、コスパがいいのは。
「音楽を聴く」「飲み屋で会話する」「読書をして教養を得る」
こういうのは、1000~5000円で、それをしている間は、ある程度の刺激が得られる。
家なんかは、お城に住もうが、新築一戸建てに住もうが、築50年のワンルームだろうが
半年すれば、ただの家で、なんの刺激もないだろう。
どれだけのものを手に入れても、しばらくすれば、「なんでもないただの日常生活」
暮らしが成立していれえば、もう、あとは殆ど生活満足度なんておなじだ。
それで、そんなに、立派な、資格や、肩書や、立派な社名が・・・必要だろうか。
実際は、そういうのは、あまり生活の質を左右することはない。
無駄に頑張ると、それ自体で、ストレスや苦痛につながるし、認知の歪みが形成される。
いや、どれだけお金とか稼いだところで、
まぁ、週2回くらい誰かと話して楽しかったですね、そんなのが日常の幸せだ。
そんなの、普通の人でもやってる。
こういうものが手に入っていれば、平社員だろうが、主任だろうが、副長だろうが、長だろうが。
立場に関係なく、生活の中で感じるような生活満足度は、みんな殆ど同じはずである。
何も特別なこととか、余計なこととか、がんばりとか、そんなの加える必要はない。
殆ど、もうそれ以上は生活の質は、変わらないから。