今日も、居酒屋行ってきた。

マスターと話してきた。

リベラル・アーツ(一般教養)の重要性について話した。

いわゆる技術知は奴隷的技能であって、理系の専門知識を与えるような大学教育とかは、一般教養を軽視しているので、あれだけしか勉強しないと、奴隷さながらになる話した。

これに比べ、リベラル・アーツは「総合的な知の錬成」「総合学術」であって、解放奴隷は哲学者や偉大な政治家となって後世に名を残したという「自由度」があった。

リベラル・アーツは、自由人のたしなみ、でもある話。

世の中で生きていくには、結局、技術知だけでは通用しなかったのだけれども、自分が就職した2000年頃は、リベラル・アーツだけでも、就職できなかった。

日東駒専レベルの政治経済学部みたいなところの人は、できたばかりの派遣社員などの立場になってしまうような時代だった。

あの頃はひどい時代でしたよ、正社員になれないのは、自助努力不足の自己責任などと、強く言われていたヘンな時代でしたから、って話。

最近は、なんか日本型資本主義とかいって、それがどういうものかはわからないけど、脱ネオリベラリズム化を志向する動きがある話した。

あと会社の人間模様の話しをして。

ああいう組織にいて、完全に言うことない人間なんているんですかね、まぁ、満足している存在というか。

って話したら、一部のエリートくらいじゃないですか?ってマスターが言っていて。

エリートもわかんないですよ、めっちゃ努力家で頑張っている人とかいても、「全員が自分と同じように頑張って、自分の仕事の負担を少しでも減らしてくれないとおかしい。」とか思ってる可能性がある話したんだけど。

マスターはそういうお客さん、過去に居ました、って言っていて。

その人はいつもお店に来て怒っていて、社員が、自分のように、自分の時間に、仕事の予習・復習をきちんとしてこないのは、怠慢だと言って、怒ってました・・・って言っていて。

え・・・でも、自分の時間に仕事の予習復習するとなると、労働契約も絡んでこないですか?って話。

あと、プライベートの時間に仕事の勉強しろとかって、個人の事情を全く考えてないですが、例えば、家で介護している人がいるとか、結婚して小さい子どもがいるとか、プライベートはプライベートでやることあるわけですよね、まぁ、独身者なら多少は修行みたいなことできないわけでもないでしょうけど・・・・って話したけど。

マスターは、でもプライベートまでへんなプレッシャーかけて仕事のことやらせたら、社員が潰れちゃわないですかね?って言っていて。

潰れる人もいるでしょうね、自分もそうやって潰れた一人です、って話して。

そういう時、潰した人は責任取るんですかね?ってマスターは言っていたけど。

会社の人は、そういう時、責任も取らないし保障もしないですよ、潰れたやつが悪いということで、「この会社やめてくれ」と言って、使い捨てようとするのが一般的でしょうね、って話して。

ほんとろくなもんじゃないですよね、って話になって。

いや、自分が仕事大変で苦しい人は、自分が楽になるために、他のやつも全員頑張れとかいう前に、自分が今その場、楽すること考えた方がいいんじゃないですかね、って話なんだけど。

だから、そういう人が権力を持って、あたかも自分の言っていることが正しいかのようになっている時は、ほんと怖いですよ、って話。

労働組合とかあっても、職場内の人間関係の話しとかは、殆どテーマとしてはあげてはいけない空気があるので、あんなのあってもなんの解決にもならない話。

マスターは、え?そうなんですか?って驚いていて。

会社組織は怖いから、ほんと、会社員なんか、ならないで良かったですよ、ってマスターは言ってた。

だから、精神だけでも、自由になるためには、リベラル・アーツ(教養)が大切なんですよ、って話とかして、食事が終わったので帰りました。