「世の中のことなんてよくわからないし、興味もないから、そのままぼんやり何もしないで何も考えないでそのまま生きる。」
「なんか、政治は薄汚いことばっかりやっていて、きもちわるいから、なるべく見ないようにする。」
これもひとつの生き方だと思うけど。
こういう人のところに、
「そんなんで社会でやっていけると思ってるのか!」
「世の中そんなに甘くない!そんなんで食っていけると思ってるのか!そんなんじゃ通用しない!」
「向上心を持って常に努力して常に成長しろ!」
「〇〇になれ!」
「幸せな成功者を目指せ!」
「国立大学にしろ!」
なんてがやがやいろんな干渉があって
本当は別にやりたくもなんともないけど、食っていけないなんてことになるのは怖いから、言われたとおりに真面目にやるかということで
絶望感と虚無感と戦いながら、極端な悪戦苦闘努力に戻づく過激な学歴生存競争をして、親や教師に指示された大量の目の前の課題をひとつひとつ解決することに、真面目に取り組んで、より偏差値の高い「いい学校」に入るために、がむしゃらになって取り組む。
「学業は学生の本分だ!」と言われているけど、実際は求められているのは、ペーパーテストの成績順位というその結果だけ。その点数稼ぎだけを目標に据えてとりあえず言われた通りに、なんの意味があるのかもわからない点稼ゲームをがんばる。
ちょっとでも芳しい成果が出ないと、「軽蔑され」「どうしようもない、できそこないの落ちこぼれのドラ息子」なんてことにされる。
そんなに蔑まされてばかりではおもしろくないから、親や教師に評価される人間になって、少しは自己肯定感を高めたい。
まぁ、そういうことで、いつのまにか、別に本人がやりたくもない好きでもないことで、言われたとおりに、食っていくためだけに、無理をして極端な悪戦苦闘努力に基づく過激な学歴生存競争に巻き込まれていく。
その結果、かなり無理したけど、なんとかギリギリのところで、親に指示された資格を取った。
親に言われて資格取っただけだから、とくにやりたい仕事もなかったけど、就職は、大学の先生に勧められたところを、とりあえず、偉いひとが言うなら、それにしてみようと思ってうけてみた。
募集要項には書いてなかったけど、大企業の関連会社かなんかだと思っていたら、そこがたまたま偶然、いわゆる「いい会社」の「本体の正社員」だった。
でも、会社に入っても「常に追い付け追い越せで切磋琢磨し、常に努力して、常に成長しろ!」などと言われる。会社を首にされたら怖いし、とりあえず認められたいというのも少しあるから、言われたとおりに頑張ろうか。
そんなことで必死に取り組んできた結果、学校を偏差値だけで、評価したり、あるいは、見下したり、人間を自分より、上か下かでしか判断できなくなったり、これだけがんばった自分を価値ある存在であると思いたいがために、その辺の飲み屋で、手あたり次第に、人にマウントしたり、説教したり、自慢したり、誇示したりして、職業ヒエラルキー下位の人に、努力が足らないとか、見下した態度を取る・・・・・社会には、マウントや嫉妬が蔓延し、分断され・・・・世の中の雰囲気もかなりわるい。
これというのは、「身から出た錆」とか「蒔いた種を刈る」とか、いわゆる自己責任論で、ぜんぶおまえ自身の個人の問題だということで、「親御さんや恩師に感謝してますか?周囲に感謝できないお前自身の人格や人間性に問題がある」とか、、、、それだけに帰結できるようなことなのだろうか。
人の話ちゃんと聞いて従ってがんばってたら、病気になって死にそうになったから
自分の命を守るためには
「人の話なんてまともに聞いてても、しょうがない。」
ということで、人の話を真に受けない、鵜呑みにしないことにして、自分で学んで自分で教養を高めて自分で判断しようとして過ごしていると
「今のお前は人の話が聞ける状態でない」
などと、これまたまことしやかに上目線で説教される。
まぁ、結局は、人間も、世の中も、社会も、なるようにしか、ならないんだけどね。
「人の話は、あくまで参考やサンプルの一つと捉え、自分で考えて判断する。」
でも、この世の中の先々は、自分がどう生きたところで、どうなるようにも思えないから。
未来の必要なことには一切取り組まず、身辺をできるだけコンパクトな状態にして、両手に何も持たない暮らしを継続しながら、「今その場しかない世の中、今その場しかない政治ならば、自分自身も今その場だけを刹那的に消費して生きる以外に方策はない」ことを方針に、とりあえず、「死ぬまで生きる」という道を選択した。