学歴生存競争を必死に戦いすぎて、一定の成果を上げた人っていうのは。

かなり高確率で「相対幸福」を信じている人が多い感じがする。

「幸福は相対的なもの」

と、本人も何も疑問に思わずに、そういうことをはっきり伝えるのである。

自分も以前は・・・そういう時期が確かにあった。

人間の幸福についてその後いろいろ詳しく調べて検討した結果、

まぁ・・・最近は、他人との比較に基づく相対幸福ではあまり生きなくなったけど。

「相対幸福」に関しては、あくまで自分の中で楽しんでいるだけならば、

それほど大きな悪影響はないかもしれないけど。

勝組とか負け組とか、あからさまに表現したりすると、

それは階層ごとに社会を分断する力になる側面もある。

自分も、昔はそれも自覚なくやっていた時期あった。

相対幸福を意識することで、人間がどれくらい快感を得ることができるのか・・・今はよく分からない。

勝手に誰かを自分以下と決めつけて見下して蔑んで優越感に浸って。

勝手に誰かを自分以上と思い込んで羨望したり嫉妬したり劣等感を感じたり。

まぁ・・・それを楽しむにはかなり思い込みも必要だけど。

自分以下の存在は、自分よりもずっとみじめで不幸な思いをしながら生きているに違いないとか。

自分以上の存在は、自分よりもずっと幸福に生きているに違いないとか。

そう信じていなければ、あまり相対幸福論は成立しないところがある。

でも、実際は、人間はそこまで立場や収入によって、日常の幸福感は大きくは左右されていない。

立場どうこうというよりも、人間の持っている感性として・・・・・

殆どの人にとって、快感はあくまで一時的なものでしかないし、苦痛はけっこうしつこくまとわりつく。

ある程度、人間には生まれつき持っている生化学的な幸福度の設定点というものがそれぞれにあって、

いろいろ外部刺激を受けて一時的に状態は変化しても、しばらくすれば元に戻るんだよね

貧乏人は金持ちが思っているほど不幸ではないし。

金持ちは貧乏人が思っているほど幸福ではない。

学歴生存競争に没入しすぎた人は、

やっぱり偏差値や名門かどうかとか国立かどうかでマウントしたりあるいは羨望したり。

あと、士業がどうのこうのとか、そういうのも好きだよね。

自分はハイステータスの仲のよい人がこんなにいますとか。

自分は、自分の今の楽しみは、知的好奇心を追求して新たな発見を楽しむことや、

それを飲み屋にもちよって会話のネタにしてコミュニケーションを楽しむこと。

これを生きがいにしているところがある。

これは殆ど他人との比較は働いていない。

人脈や交友関係を広げることにはあまり関心はない。

まぁ・・・・世の中には、実利につなげるためにいっぱい人脈広げるような人もいるみたいだけど。

自分はそういうことするのが、すごく嫌いだし、気持ち悪くも感じる。

人と関わるなら、それが自分にとって楽しいものかどうか・・・そのくらいで判断してる。

まぁ、他人と比べるのは、それが楽しい人と、それが、苦痛な人・・・反対の作用がるから。

相対幸福で生きている人は、

基本的には「他人の不幸は蜜の味」というのを信念にしているようなのと同じことになる。

まぁ、そういう側面が実際にある程度、人間には備わっているからこそ

ワイドショーとかで三時のおやつに、まぁ、有名人のスキャンダルとかが視聴率を取れるのだろうけど。

そういうことよりも、知的好奇心を追求して発見を楽しむような教養を得る取り組みの方が、

最近はなんとなくやっていて楽しい。