ハーバード大学政治哲学教授のマイケルサンデル氏の「実力も運のうち」という本

数年前に読んで・・・内容忘れちゃったけど、あれでだいぶ認識変わった記憶ある

まぁ、ある程度、成功したとされる人が「実力」と信じているものも

実はかなりの部分が「運」によって左右されているということを

かなり論理的にすっきり説明して解明していた本だけど

でもまぁ、現代のような社会構造の中で生きていると、

「努力で乗り越えられる」と錯覚させて、それに取り組ませるような風潮があるから・・・・・・・

感覚的に世の中に流されて生きていると、まぁ、たまたま、努力が結果に結びついた人は・・・・・・・

ややもすると、それは俺の努力の結果だ・・・・なんて思ってしまうようなところがある

で、「自分の努力の結果成果を得た」との確信が強いと、

その裏返しとして、「成果が得られなかったやつは努力が足らない」との認識になって

それがマウント行動につながる・・・・みたいなところがあるのだけど

「実力も運のうち」という本で、自分の思考が少し変わったけれども

その後、「行動遺伝学」などを読んでいるうちに・・・・・・・・・・・・・

「運や偶然」の要素のエビデンスに基づいた背景がより詳しく分かってきた。

まぁ、結局、個人が成功するかどうかというのは

「遺伝子」「時代」「世の中」これに大きく左右されているということだよねぇ

どれだけ血のにじむような努力しても、

結果とか運命に対しては、大体10%以下しか寄与していないだろう・・・・・・

そんなことがわかってきた

あらゆる人間の人生のほとんどが、たまたまの運や偶然である可能性が、かなり高いということになると

まぁ、くじ引きの結果とか、サイコロで出た目、あるいは、じゃんけんの結果・・・・・・・・・・・

こういうものに関して、通常、勝ち誇った態度を取ったり、

マウントを取りあったりするかというと、あまりそういうことはしないわけで

まぁ、その点は、教養によって、けっこう従来とは認識が変わったところだったけど

でも・・・そういう教養は、確かにマウント防止効果はあるけど

さらに掘り下げて考えると、それ、最終的には、自由主義社会の正当性がぐらついてくる流れになりえる

ということだよねぇ

競争条件さえ同じにすれば、それは公正な自由競争である・・・・・とはいえないということになる

遺伝ガチャによって最初のスタート地点がかなり違う・・・・・ということになると

勝った人が適所適材的な地位を得るのはまぁ、しょうがないにしても

報酬にすごい差があることに関しては、

どういう説明がつけられるのかが分からなくなってくるところがある

うーーーーーーーーーーーーーーーん

ただ・・・・・・自分は・・・・・・・

マウント行動を抑止するのは、道徳心や良心だけに訴えかけるのでなく

論理的に説明された教養によって、現象をどう認識するかによっても変えられることを知った

エビデンスに基づいて正しく事実を認識するだけでも、だいぶ違うようである・・・・・・・・

20世紀に考えられていたような

「生まれたばかりの赤ちゃんの脳は真っ白な石板で、あとは教育と本人の努力次第だ」

と信じられていた時には・・・「親の責任」と「子の自助努力」と信じられていた。

まぁ・・・まだそう信じている人もいるけど

子どもが東大に行ったら、

「自分の子育ての手柄であって、この教育法を本にしてみよう」なんて佐藤ママみたいな人もいれば

子どもがニートになったら

「世間様にご迷惑をおかけするまえに、ドラ息子を殺しました」なんていう元農水省官僚もいた

飲み屋で、キャバ嬢を見下して説教するような客もいた

しかし、いろいろな人間科学分野での研究が進んで、21世紀の現代では・・・・・・・・・

「遺伝ガチャによって生まれた時にはかなり能力や特性に個人差がある」ことが分かってきたし

「環境からの影響も、両親だけでなく、友達や仲間環境、地域社会、あるいは会社、ネット環境、さまざまなところから人間は無数の影響を受け、それが個人の遺伝的特徴と複雑な相互作用を起こして、偶然、ひとつの結果を引き起こす。」ことも分かってきた

「結果に対する本人の努力の影響度は10%以下、であって、努力できるかどうかすら、「遺伝子」と「環境」によって半分くらいずつ影響を受けている」ことも分かってきた

これだと、恐らく誰にも明確な責任は問えないことになる

「親の子育ての責任でもなければ」「子どもの自助努力による自己責任でもない」

「たまたまの運や偶然」

まぁ、人生がくじ引きみたいなものであれば、そりゃ、マウントなどしても意味がないのはそうなのだけれども

「マウントや嫉妬による社会の分断」を回避することはできても、それだけでは済まない、さまざまなものに影響する知見まで・・・捕捉されてくる結果になったようだ。