ほんっと世の中の人間って、何やってるんだか、よくわからないけど。

無駄に親って子供を不幸にしているところがあるけど。

この私立中学受験をめぐる親子のドタバタ劇とか。

 

息子の中学受験、立て続けに不合格 自分を責め泣いた母が今思うこと

有料記事サクラ ハラハラ 親が振り返る中学受験

丘文奈2024年4月5日 8時00分

息子の中学受験、立て続けに不合格 自分を責め泣いた母が今思うこと:朝日新聞デジタル (asahi.com)

引用開始

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受験票を何度も確認しながら、番号をスマホに打ち込んでいく。

 深呼吸をしてから、確定ボタンをクリック。現れたのは、「不合格」の3文字だった。

 昨年2月。東京都に住む女性(48)の長男は、私立中学を受験をした。第1志望の合否結果を確認した後のことは詳しく思い出せない。あまりにも、苦しい記憶だからだろうか。

 覚えているのは、長男に隠れて毎日泣いたこと。食事がのどを通らず、急激にやせたこと。「長男につらい思いをさせた」と、自分を責め続けたこと。

 長男は第2志望も落ち、第3志望の私立中学に進学した。まさか通うことになると思っていなかった学校だ。

 「中学受験に失敗したのは自分のせいだ」

 女性は今もそんな思いを抱えている。

合格圏内と言われた志望校は不合格。失意のなか子どもの進学先を決めた―。4月を迎えても、苦しい気持ちを抱えたままの人もいるかもしれません。同様に長男の不合格を経験したある親は、かつての自分に伝えたいことがあるといいます。

親子二人三脚 高望みはしなかったが

 受験を決めたのは、長男が小3のとき。人見知りな長男の性格に合わせ、集団学習の進学塾ではなく個別指導の塾に入れた。

ここから続き

 小6で志望校選びを始めた。長男の偏差値は50台。難関校への挑戦もよぎったが高望みはせず、手が届きそうな学校をめざすことにした。

 10校近く見学し、長男は伝統がある都内の男子校を第1志望に決めた。歴史の重みを感じられる学校の雰囲気と制服を気に入り、自分で選んだ。

 第1志望と似た雰囲気の男子校を第2志望に、確実に入試を突破できそうな偏差値40台の男子校を第3志望に選んだ。

 第3志望は、長男が「誰でも入れる」とバカにしていた学校だ。あくまでも「押さえ」という気持ちがあった。

 長男は毎日塾に通い、順調に成績を伸ばした。塾の先生から、過去問演習で第1志望の合格点に達しつつあると聞き、女性の期待は膨らんだ。

 「来年の春には中学生か」

 第1志望の学校は、髪形の規則があるのかな。どんな靴を履くんだろう。女性は入学後の学校生活をネットで調べた。

 塾に持たせる弁当作りにも力が入った。好物のたまご焼きは必ず。

 毎日のように、手書きのメッセージを書いたふせんを弁当箱に貼った。

 「おつかれさまです。カツサンドを入れました。『勝つサンド!』」

 「あきらめずに自分を信じて走ってね。私たちも一緒に走っているよ」

第1志望、合格圏内だったはずが…

 こうして迎えた昨年の2月1日。東京ではこの日から数日間、中学入試が集中するのが恒例だ。

 女性は作戦を立て、1日午前に第2志望、午後に第3志望を受験する日程を組んだ。合否結果は当日夜に発表されるため、初日に合格を手にしたうえで、2日目の第1志望の入試に安心して臨む算段だった。

 1日目。試験を終えた長男は「できた気がする」と余裕の表情だった。

 だが、女性は合否結果のサイトを開き、あぜんとした。

 第2志望も第3志望も「不合格」。

 どうして――。女性は信じられず、何度も受験番号を入力した。

 一緒に結果を見ていた長男は顔が真っ青に。「マジか」。ボソッとつぶやき、部屋に戻っていった。

 翌朝。長男の目は赤く腫れていた。ひとりで泣いたのだろうか。

 「がんばってきたんだから、第1志望はきっと大丈夫だよ」

 家を出る前、女性は普段よりも明るい声を出し、長男を励ました。

 本当は、どうすればいいかわからなかった。

 とにかく、何かにすがりたい。長男を試験会場まで送ると、女性は近くを1時間以上歩き回った。冷たい風が吹き付ける。女性は教会を見つけ、祈った。

 「どうか助けてください。どうか合格しますように」

 だが、思いは実らなかった。

 第1志望を2回受験し、いずれも不合格。その後、再度臨んだ第3志望の試験に合格し、進学が決まった。

「つらい思いをさせた」 母親として後悔の日々

 親も子もうれしい気持ちになれなかった。制服の採寸で進学先の中学に向かった日。長男は小さな声で「第1志望の補欠合格がこないかな」とつぶやいた。

 胸が痛かった。志望校の入試分析や受験勉強で、もっとサポートできることがあったのではないか。そもそも中学受験をさせたのが間違いだったのではないか。無理に引きずり込んでしまったのではないか。長男につらい思いをさせてしまったのは、すべて自分のせいだ。

 申し訳なくて長男に謝ろうかと思ったが、逆に罪悪感を感じさせるのではないかと明るく振る舞った。夜、布団に入ると涙がこぼれた。「本当にごめんね」

 4月。入学式を迎えても女性の気持ちは晴れなかった。「切り替えないと」と、自分に言い聞かせながら、第1志望ではない中学の制服を着た長男の姿を恥ずかしいとさえ思った。

不合格から1年 気付いた我が子の成長

 鬱々(うつうつ)とした日々の気持ちを変えてくれたのは、長男の姿だった。

 入学するまで暗かった長男は、いつのまにか何事もなかったかのように過ごしていた。先生は面倒見がよく、仲の良い友人にも恵まれた。まじめに宿題やテスト勉強に取り組み、通知表の順位は1学期から3学期までクラスで1位をキープした。

 中学受験の受験勉強ではあまり意欲的ではなかったのに、自分から「英検を受けたい」と言うようにもなった。

 「バカにしていた学校だったから、埋もれたくない。がんばりたい」。長男がそう話していたと、夫から聞かされた。

 長男は悔しさをバネに努力して、成長している。「この学校に入学してよかった」と、初めて思えた。

 立て続けの不合格というつらい経験を長男にさせてしまったという後悔は、いまも女性の心に重くのしかかる。「時間が解決してくれたらいいな」と思う。

 もし1年前に戻れるなら、自分に伝えたい。

 「中学受験は通過点でしかない。進学先でどんな学校生活を送るかが大事。そんなに泣かなくても大丈夫だよ」(丘文奈)

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引用終わり

 

何百万円もかけて偏差値50の私立中学に子どもを入れるとか・・・・・・・・・

ほんとどういう趣味か、俺には全く、わからないけど

行動遺伝学の知見を参考にすると

人間の知的能力って殆ど生まれた時に決まっていて・・・・・・・・・・

教育によってある程度、知的能力や学業成績を変えられるのは、

精々、小学校低学年くらいの低年齢のときだけであって

一定の年齢になると、もう家庭や学校の教育環境からの影響なんて完全に消失して

20代、30代、とかになってくると、もともとあった遺伝子の影響によって個人は生きるようになるんだよねぇ

だから、教育効果なんかに過剰な期待をして、強引に子供を最上の幸福に至らせようとかすること自体が

最悪の不幸につながるということ・・・・・・そこにちょっと思慮をめぐらしたほうがいい気がする

子どもの学業成績は、殆ど学校の教育効果で決まるものではないというのは、ある程度はっきりしたエビデンスが現代では出てきているのだから

まず第一に遺伝子だし、それに比べればかなり影響度は低くなるけど、次に左右するのは本人自身による家での学習による問題を解く訓練、殆ど影響していないのが親や学校による教育だから

カネかけて私立中学入れてやったんだから、国立大学に行くのがお前の義務だ、、、みたいな親は知的能力が低すぎる・・・・・知的能力というか、そんなものなくても、親が不勉強すぎて教養がないだけだから、、、、知的能力の問題だけでもないけど。

普段は、あまり努力しないで生きる・・・・っていうのもひとつの生き方だよねぇ

ってか、スポーツ選手の監督とかも、選手を指導していて気が付くみたいだけど

まだ伸びしろがある選手か、そうでないかとか

ギリギリにまで悪戦苦闘努力してなんとか選手になったような人は、もうそれ以上、伸びしろは少ない

殆ど努力なんかしないで素質で選手になったような、普段、不真面目にやってる選手の方が、、、、

その気になって努力すれば、もっともっとぐんと伸びることがある・・・・・っていうやつだよねぇ

そういうのって、めちゃくちゃな努力して無理やり名門校に合格した人と

ある程度、自然にできるレベルの取り組みで名門校に合格した人との違いに関しても同様だし

最初から全速力で強引に努力して生きた人って、上のランクの居場所になんとか入ったとしても

しがみつくのだけになんとか必死で、

それ以上、その場所では活躍できないで苦しむだけなことも多いし

最初頑張りすぎた人は、その後、評価が減点されていくだけになって、行き詰まるケースも多い

最初、テキトーにやっていた人は、それ以上低評価にならないし、その後やれば評価はあがっていくので、そっちのほうがいいんじゃないかってケースもあるようだ

自分がどういう場所で生きたいか・・・・・上の環境を目指せば、もっとがんばらないといけないなんていうのは、いつまで追い求めても、永遠にあるわけだよねぇ・・・・・・・・・・・・・・

最上の幸福なんか求めずに、初めから適度に自分の能力に相応しい場所で、ほどほどにやっていくだけっていう人生があっても俺はいいと思うけど

親がやたらと教育に力むんだよね・・・・・・・・・・・・・・・

子どもを無理やり過酷な生存レースに放り込むとか・・・・・・・・・・・・・・・

いや、自分自身がそういうレースに専念して結果を出せなかったからといって、

子どもにやらせれば、もっと自分より幸福になるはずだとかいうのが、ひどい勘違いなのだけれども