「いい学校、いい会社」なんていうので、本当に人間が救済されるのかどうか・・・・・っていうのは

自分の認知が歪みすぎていると、

金持ちは、それだけのものを手に入れていて、おまえは王様なはずで幸せであるべきなのに、まだ感謝もしないで不満があるのか、、、、、ということで怒りながら

自分の子供くらいは立派な立場にしたいということで、それでも過激な教育虐待をする・・・・なんてことをするケースもあるのかなぁ

本当は人間は地位財産名誉といったものでは、大した救済になどなっていない・・・・・・・・・・・・・・・

不幸な金持ちなんて世の中にいくらでもいる・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういうのは、自分もいっぱい読んできているから、まぁ、データとかエビデンスでもそうなっているし、

あるいは、不幸な金持ちの事例研究とかもいろいろ見てきているから・・・・・・・

まぁ、何の幻想も錯覚も取り払われていたら、

その時点から、大して幸せになどならないのに、

過剰な悪戦苦闘努力をしてまで、必死になって地位財産名誉成功栄光栄華勝利なんかを求めていたかというと・・・・・・・

初めからわかっていたら、もう多分そんなことにエネルギーは割かない・・・・・・という人も多いかもしれない

昨日、チャットで出会った27歳の男性も・・・・いろいろ人間の幸福について知識があって

「永続する幸福なんて存在しない」との認識もあったし、「どうもがいても、苦痛はしつこく自分の人生にまとわりつく」との認識もあった

そこまで分かっていて、これからも貪欲に成功を追い求める動機付けが働くかというと、もう何の意欲も湧かないで、早く死にたいなんて思っていたみたいだけど

まぁ、一種のニヒリズムに陥ってるような感じだったよねぇ

そういうことに気が付かないで、とりあえず、成功すれば幸せになるはずだと錯覚しながら、幻想をエネルギッシュに求め続けるのが、いいことなのかどうか

あえて若者が真実に気が付くことがないように隠しておくとか・・・・・・なんかそれも変な感じがするんだよなぁ

自分の場合は、人間の幸福の解明に取り組んだのは、30代後半だったので、

まぁ、それ以降はもうそれ以上、無理に頑張ってまで自分の地位を高めて行くことなんてしないでいいや

どうせ大して幸せになどなるわけでもないから

との認識になったけど、同じなら頑張るだけ損ということになるからねぇ

本来幸せであるべきカネや地位がある人間が、感謝もしないで不満言って、不幸そうにしているやつを見ていると見苦しい・・・・・・

とかいうより、そもそもそんなものを求めて過激な悪戦苦闘努力をしても、殆ど幸福にもならないし苦痛も除去できないことが分かっていたら、

いろんなものを犠牲にしてまで無駄にそんなものは過剰に求めてもいなかった・・・・・・こっちの方が重要になってくるよねぇ

結局、どう生きても、大して幸せになるわけでもなければ、苦痛も殆ど除去できないのであれば、

せめてあまり金や地位などにとらわれ過ぎずに、好きなことをやっていればよかったとか、そういう人もいるかもしれない

あるいは、はじめから頑張らない主義で行こうとか・・・・・・・・・・・そういうのも選択肢のひとつとして広がることもある

うーーーーーーーーーーーーーーーん

あれだよねぇ、年収50万円と900万円で、幸福感というか安心感の差が17%あるっていう話を

お金も地位もあまりない人にすると、年収を上げる苦しみの実感を体験してないと「そんなに違うのか!?」って怒って妬むケースもあるけど

年収900万円の人にそういう話をすると、

「これだけ頑張って走ってきたのにたったそれだけしか違わないのか!?費やした苦痛が全くペイできない!」

なんて絶望して悲鳴をあげるケースもあるけど

自分はどう感じたかというと、まぁ、そのくらいしか違わないなら、もう今後は頑張らない主義になって現状維持でいいかな・・・・・・そう思った