親御さんに感謝できないのは、人間性が劣等なのだろうか・・・・・・・・・・・・・

自分は必ずしもそうではないと考えている

一律、親には感謝すべきという考え方は・・・・・・・・・・・・・・・

あらゆる個々の状況や事情をあまりにも無視した無思慮な暴論というものだろう

家庭も、家庭ごとによってさまざまである

人間の感性も人の数だけ皆違う、一卵性双生児でもない限り、遺伝子もみんな異なる

一卵性双生児だって100%同じ遺伝子というわけではない

たまたま偶然自分が親に感謝できるような恵まれた立場だったというだけで

親に感謝できる人間の人格人間性が優越していて

それができない恵まれない立場で苦しんでいる人間の人格人間性が劣等であるとして

塩を擦り込んで強引にマウントするというのは・・・・・・・・・・・・・・

必ずしも人間的に褒められたような立派な行動ではないと自分は感じるのである

そもそも人間の脳システムの成り立ちでいえば

感情というものは、あくまで自らの意思によらず、

専らホルモンの作用によって心のうちに自然に生じてくるものでしかないのであって

感謝すべきだとエモハラされたところで、それによって、実際にエンドルフィンなどの快感物質が分泌されて、

心の底から温かい感謝の気持ちがぶわっと湧いて出てくるということは・・・・

人間の脳メカニズム上、あまり考えられないことである・・・・・・・・・・・

自分の場合は、父親に対しては全く温かい感情を感じたことは一度もなかったけど

幼稚園の時の記憶が一番強かった

何が理由だったかは覚えてないけど、食事中に怒られたことで、当然、食事が喉を通らなくなるという生理反応が起き、へんな食べ方をしたら・・・・・・・・・

父親がブチ切れて・・・・・・・・・

誰のお陰で飯食えてると思ってるんだ!え?なんていうことで

突然、俺をなぎ倒して、みぞおちをガシガシ、水虫の足でけられて、呼吸することができなくなっても、徹底的な暴力の嵐は止むことはなかった

最後は、家の外に放り出された・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのまま、家の前の道路をひとりで歩いていると、しばらくして母親が呼びに来るのだけれども

自分で自立して生計を立てることができない幼稚園児には、

オメオメと自宅に帰ることしかできないのが屈辱的でしょうがなかった

父親の支配下で生きることは、それ以来、感謝というより屈辱だったのである

その出来事以降は、父親を見るだけで、嫌悪感や恐怖を感じるので、もう全く近寄ることはしなかった

小学時代も、激しい暴力に晒されたことがあった

その時も、水虫の足で顔面を激しく蹴られ続け、鼻血が噴出して布団が真っ赤に染まっていても、徹底的な暴力の嵐が止むことはなかった・・・・・・・

まぁ、そんなことがあったけど

中学生くらいになると、まぁ、一般的な人間社会の法則どおり、肉体的な虐待に遭遇することはなくなった

子どもは弱く小さい存在のときほど、過酷な虐待に遭うのである

中学の時期からは肉体的な虐待には遭遇しなかったけれども、教育虐待が始まっていた

〇〇になることを指定され、学業成績でとにかく常に向上し続けることを求められるのである・・・・・・・・

いくら結果を出しても、常にさらにもっと上になるように、競走馬のようにとにかく生存競争させるのである

まぁ・・・・・高校の時、困ったことは

恐らく学校史上、実績が全くないと思われるような、偏差値40の高校から、国立大〇学部に現役合格することを当然のように要求されたときである

まず絶対に不可能な要求であるのだけれども、自分は、自分の力不足が悪いことだと思わされて後ろめたい思いでコソコソ生きていた

で、やっぱり〇〇になれと言われても、私大〇学部を認めてもらうしかなかったのだけど

その話をすると、「金がない!」なんて言われたのだけれども、〇〇にならないと食っていけないぞと息子を恐怖で支配していたのも父親だった

大学は一発で現役合格しないなら、そんなどうしようもない落ちこぼれは高卒で就職しろ!、なんて話だったけど

あの学校では、私大でさえ〇学部に現役合格したのは自分一人だけだった

そもそも人間の学業成績を左右するのは主に遺伝子であって、いくら強烈な努力ど根性をしたところで、運や偶然によっては限界があるのだけど

とにかくひどく激しい生存競争ばかり戦った強い苦痛の経験しか記憶していない

大学時代も、本来の学業成績でもなんでもない、国家試験の模擬試験の成績順位を巡って一握りの極端な成績優秀者になることを要求されて

それも真に受けて競走馬のようにひたすら健気に走った

当初350人中130位の順位を1年間で2位にした

でも、9割の学生が合格する国家試験であって、300位でも1位でも合格すれば同じ〇〇でしかないし

国家試験の成績はあくまでペーパーテスト対策で決まるものであって、〇〇の業務能力とは全く無関係なものである

だから、あれで極端な成績優秀者になったところで、あくまで父親の自己満なのである

で、国家試験に合格して、無事就職したら、父親は子どもが優秀すぎるのが気に食わないということで、妬まれただけで終わった

10年間も競走馬のように学業成績を巡って生存競争を強引に走らされたあげく、なんとか親の期待に応えて親の夢を実現したら、単に妬まれただけだったのである

認められることは決してなかった

これだと、恐らく父親がやっていたのは、単なる教育虐待だったのではないか・・・・・・ということだよねぇ

で、俺自身は〇〇になれて幸せになったかというと、それでも結構いろいろ不幸なことも起きていたし、幸福には全くならなかった

まぁ、父親に対して温かい感情を持ったことは彼が死ぬまで一度もなかったけど

それならそうというだけのことだと俺は思うけどね

父親の病院のお見舞いも死ぬ直前で殆ど会話ができない状態になって母親に来るように言われるまで、1度しか行かなかった

父親の墓参りは亡くなってから10年位するけど、まだ一度も行ったことはない

まぁ、宗教だけはやめろって言っていたから

それだと、仏教も、神道も、キリスト教も、イスラム教も、なんだろうと全部だめだろう

あらゆる宗教儀式もすべて虚構でしかないなら、葬式や墓だって恐らくそういうことになる

葬式だけは一応、義理で参加はしたけど

全く悲しみなんて感じなかったし、どこか他人事だったという印象だ