ほんと・・・世の中ってさまざまな運や偶然によって影響されるけど。
学校の勉強ばかりに専念してると間違うよねぇ。
学歴競争では「個人的な生存競争」だけど。
そればっかりやって、社会に出たとたんに、今度はいきなり「協調性」にスイッチを切り替えて、「足並みを揃え」、「均質性を追求する」ことがウラで求められる。
自分の場合は、父親に〇〇になれといわれて、常に成績順位ばかり問われていた。
〇学部受験なんか学校で一人しか生存できなかったけど、現役合格できなかったら、そんなどうしようもない落ちこぼれは高卒で就職しろ!とのことだった。
〇学部受験には生き残ったけど、父親の要求はそれだけでは終わらなかった。
学生の9割が合格する国家試験の模擬試験においても、一握りの成績優秀者になることを求められた。
また強烈な順位争いを強いられた。
大学4年の最初の時に、350人中130位であることに、難色を示されたんだよね。
で、それを真に受けて一年間がんばって2位にしたけど、まぁ、国家試験受かれば300位でも同じ〇〇だからあくまで自己満にしかならないんだろうけど。
まぁ、言われたこと鵜呑みにして頑張ったよねぇ。
だから、中学以降は学業で極端な競争にばかり晒された。
会社入った直後は、長がゴリ押しで部下に努力ど根性を強いていた。
まぁ、週4回、毎回22時半まである強制の飲み会で、一方的に説法を聞き続けるという飲み会だよねぇ。
毎回、5000円も参加費を取られた。
初任給ではとてもやりくりできないので、ボーナス返済で親に借金して生活していた。
そこで強烈に説かれていた理念は
1.常に現状に満足せず、常に追い付け追い越せで切磋琢磨し、常に努力して常に成長しろ!
2.出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない!
3.職場に対する不満はどんどん言え!
4.ステップアップの転職はしてもいいが、組織が合わないとかネガティブな動機でやめてもどこへ行っても通用しないぞ!
まぁ・・・・毎晩の飲み会で、会社組織への無際限・無定量の忠誠と貢献を常に強烈に煽ってプレッシャーをかけ続け、さらに辞めさせないように縛り付けていた。
これも説法を聞いているだけの飲み会を毎日深夜まで付き合うのも大変で、
濃い酒をあおってると時間が飛んだ気がするので、濃い酒をいっぱい飲んで対応していた。
毎晩、ヘロヘロになって家に帰って、毎朝、二日酔い。
学生時代4年間続けていた、腕立て腹筋背筋200回2セットを毎日朝晩計4セットというトレーニングもすぐにできなくなり。
酒浸りの暮らしを強制されつつ、昼間は、猛烈なプレッシャーの中で仕事していた。
入社1年目から自分を直接指導していた人は、俺のことを「〇〇くんは、真面目過ぎるし、優秀すぎるし、仕事はできすぎる。」なんて度々言っていた。
歳の近いデキる先輩は、「〇〇君は静かに燃える青い炎だよ。俺らが5年かかったことを2年目にやっている。」なんて言っていた。
かなりのプレッシャーの中、無理して仕事してた。
で、常に努力して常に成長しろとの指令だったので、週末は、毎週末、大型書店に行って仕事関係の本を買いあさって、休みの日は仕事の勉強をしていた。
そのように過ごしていたのだけれども、2年目に副長が変わったことで、急に激烈な潰しに遭遇するようになった。
まぁ・・・・・スローガンを真に受けて仕事すると、さまざまな利害相反に遭遇して全然、通用しないんだよねぇ。
お客様第一とか、会社の発展のためとか、そういうもののために、自主自立して、自ら考え行動するとか、ちっとも通用しなかった。
しばらくして気が付いたけど、みんな、自分とその家族の利益第一で行動していると思えばつじつまが合う。
それで強烈に潰されて、仕事を諦めると、今度は、諦めたら終わりだ!ということで、激情激高を伴って叱責される。
なんとか奮起して頑張ると、また強烈に潰される・・・・・・そんなのが繰り返されるようになった。
仕事はきちんとやって誰よりも早く急成長しているのにも関わらず、罵声や怒号が職場に飛び交っていた。
それでも、出すぎる杭になれば、打たれなくなり、平和になるはずだと、言われたとおりに、実行していたら、職場の人間関係が完全に荒廃した状態になり。
4年で精神病を発症する結果になった。
6年間で3度発症し、その都度、一か月間とか仕事を休んで静養していた。
まぁ・・・・・そういう経緯で、潰しとか、激情、激高とか、そういうのに揉まれると、もう体に染みつくんだよねぇ。
自分で考え行動しても、潰されるし、潰される中がんばって成果が得られて、職場外の人から評価されたりすると、急にその人たちの前では褒められるのだけど
その結果を、個人提案で提出しようとすると、めっちゃ反対されて手柄だけ奪われるとか・・・・そんな体験もした。
いや、業務上の指示があってやったわけではなく、自分で取り組んだことだし、しかも激しく潰しにあったようなことだから、
個人提案でいいのではないかということなんだけど。
それもダメなんだよね、成果だけかっさらわれるとか。
そして仕事は頑張れば頑張るほど、自分に仕事がもっと集まってくるだけで、ラクする人がもっとラクするだけで、職場にも進歩がない。
すごく苦しいのだけれども、仕事はできるけれども、人格や人間性に問題があるとか、そんなことを言われるし、まぁ、感謝しろもそうだけど。
「苗字のことで、土民の土」とか言われたこともあるし、差別的発言を会社管理者が平気でしていた。
まぁ・・・・自分は、言われたとおりに仕事を頑張っていただけなのに、そんなことになって・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時はよく分かっていなかったんだけど、仕事がんばっても、がんばらなくてもだめで、結局、打たれていく中で、
できすぎもしない、できなすぎもしない、真ん中くらいでいるのが一番風当りが小さいことに気が付いたのが、入社5年目くらいだったけれども。
仕事を真ん中に調節すれば、一瞬で平和になって、人間性なんてそれまでと全く同じであっても、
以前より全然気を使わなくても、全く人間性など問題視されなくなった。
でも、本来は、常に努力して常に成長しなっきゃいけないのに、そんなことになってる自分自身がいけないのだとまだしばらく洗脳は解けてなかった。
でも、いろいろ本を読んでいるうちに、30代後半になって、19世紀の哲学者ショーペンハウアーの「幸福について・人生論」という本に
「中庸の美徳」というのが紹介されていて、まぁ、中世の処世術の詩人ホラティウスの思想も書かれていたんだけど
「松高ければ風益々猛り、山高ければ雷まずこれを打ち、塔高ければ倒壊の惨はなはだし。」なんていうことで
でまぁ、、、一番、最初の長の教えが間違っていたのかな・・・・・そう感じ始めたのは、30代後半のことで。
その後、幸福についていろいろ哲学や心理学、あるいは、脳科学、あるいは・・・・いろいろな分野を模索していると
「生存競争と嫉妬」とかも人間の不幸の主因でもあるようだし、「中庸中道を美徳」とする思想から、「怠け者になりなさい。」という思想まであった。
まぁ、いろいろ組織の力学や構造メカニズムが把握できてきたのは、40代半ばになって「組織社会学」について学んだ時だったのだけれども。
年功制組織に働く力学構造とかだよねぇ。
結局まぁその分野の研究では、年功序列制を採用する伝統的日本企業で取るべき処世術は
1.足並みを揃える。均質性を追求する。
2.年配者を立てて敬い、忖度し、従属する。ただし、会社組織のスローガンなどは決して真に受けない。
3.分に甘んじ、和を重んじる。
主にこういう方向性のものであって、入社当初の長が強烈に煽っていたやり方では身を亡ぼすだけだったわけだよねぇ。
年功制組織において、個人の力では下から社風や伝統的な風土までは変えることはできないから
まぁ、病気を3度した以降は、もう自分も昇進しなくなったし、大した仕事も振られず、研修への参加等の教育投資もされない状態になった。
年功序列制の日本の伝統的企業の出世は、トーナメント形式で敗者復活戦というものはないということも、組織社会学で知ったけれども
これだともう何のモチベーションも働かない・・・・・
若い頃、言われてないことまですると激しい潰しにあった記憶も残っていて、もう言われたことしかできなくなった
でも、学会発表だけはしてほしいみたいなこと言われるんだよね
何の研修会にも参加させないのに
それは俺が発表すると、長が周囲からお褒めの言葉をいただけるからみたいだけど
でも、俺はもう自分から発表しますと手を挙げることもない
あと、若い頃、仕事で徹底的に潰されていた時期に、もう仕事では何の展望も描けないから、他でなんとかしようということで
金投資に向かう流れになったわけだけど
それも、自分だけ生き残ろうとするのはいけないこと、として、潰されて辞めたことによって、家族を保障できなくなったということで、結婚を諦めたのが26歳
まぁ、、、、、結局、人の話など聞いて、真面目にやっても、いくらでもグッダグダの人生になってしまうということだよねぇ
むしろ人々が言わない本当のことを自分で察知することのほうがよほど大事だ
「人の話を聞かない能力を高めて、いい加減くらいにやるのが丁度いい」
という生物学者、池田清彦氏の話が、気になったのが40歳くらいのときだったかな
まぁ、、、、あとの人生は、もう死ぬまで生きるだけだからね、俺は。
それ以上のことはもう自分の責任では対応できない。
これで、会社にとって不要になったから、なんてことで、やめてくれ、というのであれば、そりゃ、俺も、もうゴネるかもしれない。もうこの歳では、会社をやめても、ろくなことにならないだろうから。
まぁ、もうそれで、個人弁護士保険にしばらく前に入って、なんかよからぬことがあったら、いつでも弁護士に相談して労働裁判を起こせる準備はした。