「高学歴難民」阿部恭子

を読み始めた。

この本を手に取るのに至ったきっかけは・・・・・

まぁ、居酒屋でのコミュニケーションもあるんだけど

ママ友同士の私立中学受験を巡るマウンティングの様子とかだよねぇ。

まぁ、今は私立中学受験人気のある時代になってきたみたいだけど、

ママ友同士の間で、お隣さんが私立中学受験すると、

「自分の子どもが取り残されるのではないか?」

的な焦りから、教育方針にいろいろ影響が出るようである。

で、自分も、しばらく調べていたのだけど。

いくつかのエビデンスをあげるとすれば

 

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1.名門私立の中高一貫校の教育投資は、600万円の学費をかけて、成績の上昇効果は偏差値にしてプラス1~3。

要するに、学校の名声で、初めから勉強に向いている人を寄せ集めて、受験で選抜しているだけで、学校が能力開発しているわけではないということ。

この辺は社会学者の成田悠輔氏などが研究報告を書いている。

 

2.行動遺伝学における研究結果では、子供の学業成績の説明率でいうと、遺伝子50%、親の教育5%、子の努力10%。

残り35%も数%しか影響しない、その他雑多な環境要因が多数組み合わさって、子供の学業成績につながっているということ。

つまり、子供にゴリ押しの生存競争をさせても、もともとの素質で大部分が決まっている。

この辺は行動遺伝学者の安藤寿康氏が研究報告を書いている。

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子どもに私立中学を受験させるような親が、「看護師」とか「薬剤師」とか「放射線技師」とか「SE」になることを許すだろうか?

ってのもあるし、まぁ、主に、「名門大学」→「大手企業」「医師」「弁護士」とかを描いている可能性あるけど

「親の学歴偏重主義」って・・・どうなのか・・・というところ。

自分がこれまで調べた範囲では、人間は「ある程度の落ち着いた暮らし」ができれば、

殆どそれ以上は幸福感を左右しないのではないか、というところだよね。

いわゆる、「いい学校、いい会社、いい人生」そこまで固執して、過激な学歴生存競争などしても、変わらないのではないか・・・・・・・

というところ。

むしろ、極端な輪くぐりの曲芸のような、過激な生存競争を多感な子供時代に経験することによる負の影響も考えられる。

まぁ、極端な例でいえば、「年収1兆円の大富豪と、年収8万円のアフリカのマサイ族の幸福度が同等であった。」という調査結果が示すように、いくら富をかきあつめても、大して幸福感には影響はないというところが人間にはある。

「ある程度、安定して暮らしが落ち着いた状態。」が確保できれば、年収は500万円だろうと、2000万円だろうと、1億円だろうと、幸福感の差は数%くらいのようである。

中学男子だろうと、イーロンマスクだろうと、恐らく男性が経験できる最も大きな快感は「射精の快感」である。

日本は、殺人事件の半数が家族内で起きていることの要因の一つに「教育虐待による家庭崩壊」があることがあげられている。

「高学歴難難民」という本は、私立中学受験からはじまる「極端なエリート指向」のような世界で、どんな闇があるのかを学んでみたい。