やっぱり・・・・・この社会システムは崩壊する以外、恐らくないよねぇ
子育てする意味というのが、贅沢な趣味にしかならない空気になってきた。
子どもは子どもで、自分と自分の家族を守るために、四六時中仕事に拘束され、親を支える時間もお金もない。
自分の老後の社会保障は自分に課せられた年金保険料の納付をしている。
子どもには、親の面倒を見れる時間が作れるのは、自分の老後くらいにしかないのである。
それだと親子の年齢差はせいぜい25~30歳くらいでないと、それはできない。
でも今は晩婚化しているので、子供が中学高校生くらいの時に、フルタイム共働きの家庭において、祖父母を介護するといったような・・・・・・
ヤングケアラーの社会問題が生じてきている
今は配偶者に、自分の親のおむつを交換させるような時代でもなくなった。
夫婦フルタイム共働き家庭を前提としたような、男女共同参画社会への移行を政府が目指している。
となると、、、、まぁ、、、、あれだよねぇ、、、、、、、、、、、
親は親で自分の老後は社会保障制度や福祉などを頼りに自分でなんとかする・・・・なんて流れだよねぇ
子どもにも広域転勤もあるし、仕事を求めてどこに行くかもわからない。
まぁ・・・・他の先進諸国では成人した子供が老いた親と同居するという文化はあまりないようだから
まぁ・・・・この社会構造の変化の流れが日本にもやってくると、子供の人生と親の老後は殆ど関係性がなくなる。
ということになると、子育てというのがコストでしかなくなってくる風潮が出てくるかもしれない。
社会全体を支えるためにどうこうしましょうというより、人間は自分とその身の回りにとってやりやすいように自由権を活用するようだから。
社会的責任は一億分の一票、自分の私権によって守る自分の生活の責任はほぼ100%・・・まぁ、それだとそういう流れになるのかもしれないけど。あるいはDNAに刻まれた人間本性と現在の社会システムとの相性の問題・・・・子孫を残したい・・・かどうか、あるいは、自分自身が生存していく上でどうか、社会システムの構造上の問題として、あまりお給料を稼げない椅子が初めから一定割合で社会に存在しているのに、お金が無くても配偶者として選ばれるのかどうかというところの葛藤。
男性の場合は、子孫を残したいというのは本能なのかどうか・・・・顔体のいいいろんな若い人とセックスしたい、というのを追求する結果として、子供ができていただけなのが自然史なのかどうか。
また、女性に関しても、「女の幸福は結婚」みたいなのも過去の考え方になってきている。
ということは、この少子超高齢化社会の流れは・・・・・・・・・・もう止まらないだろうねぇ。
この社会システムは、自分がどうするかに関係なく、破滅の階段を着実に降りていく流れにしかならないようである。