お金があったら、でっかい邸宅を構えるっていうのが健全なのは、なんでだろう・・・・・・・・・・・

俺の場合は、初任給の新入社員ですら住まないような、

まぁ、徒歩通勤圏内だけど、線路脇の電車の騒音が数分おきにする日当たりのないゴキブリの出る築50年の1Kの賃貸住宅で10年以上住んでいる。

29歳で昇進が止まって・・・年功序列の定期昇給だけで地道に勤続年数で稼ぎ続けて・・・・年収は今現在で730万円くらいだろうか。

一般的には収入に見合った住居とは恐らくいえないかもしれない

家、ってただの箱にしか思えないからねぇ。

生活さえできれば、けっこう、今ではどうでもいい。

若い頃は、新築の小奇麗なところがどちらかというと好きだったけど。

実家は10年位前に母親が一戸建てを新築したけど、別に今は家によってハッピーでいるようには全く見えない。

結局、建てて住んで半年くらいすれば、もうなんの興奮も感動もない、ただの日常的な生活空間としか認識してないと思う。

それだと築50年の1Kの賃貸でも同じだ。

ただの生活空間からは、快感も苦痛も何も感じない。

人間の快感っていうのは、あくまでその場限りものとしてしか殆ど感じられない。

持続的に快感物質が分泌され続けるような脳の構造は存在しないからである。

まぁ、でもこういう住居だと女は連れ込めないけど。

家に手料理作りに来るなんて言っていたキャバ嬢が、過去、2人いたけど、女なんか連れ込める家に思えないから、2人とも断った。

まぁ・・・・・・でも、家って幸せになるためのツールとしては全く役立ってるように見えないけど。

団塊世代の人は、バブル期頃に、通勤片道2時間もするところに、〇〇同士のフルタイム共働きで1億円の一戸建てを建ててた人いたけど。

でも、その人もいろいろ転勤とかすると、転勤先は単身赴任で、

築40年の5畳一間のキッチンのない風呂トイレ共同の社員寮を8000円くらいの家賃で借りて過ごしてたけど。

そのことによってすごく不幸で残念な生活に一変したというわけでもないし。

1億円の一戸建てにいようが、8000円の寮に居ようが、淡々とした生活が同じように続くことには変わりはない。

まぁ、共働き前提で全力で高い物件とか買うと・・・・・・その人は近所付き合いから強い苦痛を被っていたみたいだけど。

近所の人たちは、みんな片働きで1億円クラスの家に住んでるような人たちで、

東大卒の大企業の役員だとか、大学教授とか、周囲にそんな立派な肩書の人たちしかいないみたいで。

で、彼の場合はすごく肩書の力に弱い人で、近所の人同士で町内会でテニスとかすると、

言われたわけでもないのに自分から率先して雑用ばかりしたりとかしちゃうらしくて。

なんか自分が近所づきあいのなかで、みじめな感じがして、すごく苦痛だったみたいだ。

会社では部下や出入りの業者の人にはすごい乱暴に威張ってるんだけど、上の人に対してはすごい平身低頭する感じがあった人だった。

力関係とか序列に敏感な人だったのだろうか。

あれだったなぁ・・・・まぁ、住環境から感じる幸福は恐らくすぐ順応して消えるだろうけど、

近隣住民との人間関係や、重いローンとか長時間の通勤地獄から感じる苦痛やストレスはけっこう持続的に降りかかるからなぁ

通勤地獄から被る幸福感の影響はかなり大きいとする研究報告どこかで読んだことあった。

お金に換算すると、給料50%増しとかにしないとペイできないようなストレスっていう話だったっけ。

家とか車とか結婚とか、幸せになるための手段になるとは、俺は全く思ってないので、家も車も俺は買ったことはない。

今までの人生で一番高い買い物って、確か20代半ば頃に買った、パイオニアの15万円くらいのコンポとかだった。