親にすら感謝できないのは、ヒトとしておかしい・・・・

みたいな歪んだねじ曲がった教えって他の国にもあるのかな。

仏教国とかアジアに特徴的なものなのだろうか。

自分の場合は、感謝できない場合は、無理にしなくてもいいという考えだけど。

とてつもない暴力の嵐で一方的に強烈な虐待をされたこと・・・とか、許す必要なんてないと思うし。

小学3年くらいのときに、本を読まないことを軽蔑されたのも意味わからなかった。

あの家って、全くインテリ家庭でもなかったから、父親の読んでた本だって、ゴルフの雑誌と時代小説くらいしか家になかった。

もともと知的刺激なんてどこからも全く入力されない家庭だった。

小学校4年くらいのときに、通知表の評価が5段階評価でオール3だったことで、これまた軽蔑されたけど。

軽蔑されたからといって、勉強しようなんて全く思わなかった。

小学6年の時に、たまたま担任の先生が、中学時代から勉強した人のサクセスストーリーを児童全員に向かって話して

偶然自分だけがそれに反応して中学時代から勉強することに決めたわけだけれども

父親は、俺の進路は〇〇以外じゃ通用しないということで、進路を指定されていて、中学時代から〇〇に向けて勉強したけれども。

これも、結果的には指示通りに〇〇になって、偶然、一定企業には勤める結果になったけれども「導いてくれた。」なんて恩は全く感じないよね。

そもそも子供の能力や素質を全く考慮しないで、「〇〇は営業にもいかねーで、いい給料もらってっから」ってことで子供に指示しただけだけど。

進路を一本に指定されて極端なプレッシャーで勉強させるって、かなりハイリスクな行為だと今では思うけど。

大学受験落ちてたら、自殺しかねない勢いだったからねぇ。

それも1年間で偏差値10以上もあげるような無理な向上ができて〇学部に現役合格できなかったら、

そんな出来損ないは高卒で就職しろって話だったけど

あの高校で〇学部に現役合格できたのって俺一人だったから、どれだけ無理な要求してたのかってことだし、

あの学校では俺以外みんな落ちこぼれなのかってことにもなりえるし。

そのような無理な生存競争を強引に戦わせることで、人間の心理へどのような影響が出るかも一切考慮されていなかった。

大学の学費は保障してもらったにしろ、〇〇以外の道がないかのように煽った本人が父親なのだから、まぁ、カネ出すのは当たり前だよね。

大学時代も一握りの極端な成績優秀者になることを無駄に求められてその通りにしたけど。

その後は、偶然、一定企業に入社したら、父親には単に妬まれただけで終わった。

なんなんだろうね・・・・・・・・・ほんと、ちっとも感謝の気持ちなんてこれっぽっちも感じないし、むしろかなり嫌な感じしかしないけど。

そして、言われたことに従って、〇〇になって偶然一定の企業に入っても、全く幸せな人生になったというわけでもないし。

自分の読書習慣とかは、入社1年目の頃の上司からの影響によって形成されたけれども

仕事以外の本も日常的に読むようになったのは、2年目からだったけど。

いろいろ常に学び続けても、まぁ、生活できれば、特に極端な無理なんかしなくても生きていけるし、幸福感も大して変わらないということなので。

なんで〇〇にならなきゃいけなかったのかもよく分からないし。

「親にすら感謝できないやつは、人間として劣等。」とかいうのは、明らかなマウントでしかないと思うけどね。

たまたま、自分が偶然、親に感謝できるような恵まれた運のいい立場だったからといって、

そういった人が、そうじゃないやつに、見下した態度取ってマウントしてるだけだからね。

そういった行動が、人間としてそんなに素晴らしい行為であるとは俺は全く思えないけど。

感謝というのは、あくまで、自らの意思によらず、

専らホルモン(エンドルフィン)の作用によって心のうちに自然に生じるものでしかありえないから。

感じてもない感謝を述べても、それは虚礼とか、ウソつき、ということになるからねぇ