「すべてのマンションは廃墟になる」榊淳司

という本を、大体読み終わるところだ。

なかなか・・・衝撃的だったなぁ。

いや、世の中をみれば、世界中のどこにでも、ビルやマンションなんていくらでも建ってるからさ。

この本に書かれているような闇が横たわっていたなんて、今まで全く警戒したことも心配したこともなかった。

東京は、中古マンションが高い。

都心部だと、立地だけで、築30年の1ルームの中古マンションも3000万円くらいの値段がついている。

そうなってくると、一生の住処にするには、築何年のマンションを買えばいいのか?という問題になる。

自分の寿命までを過不足なく無駄なくカバーできるマンションとは・・・・?

という話になる。

ということになってくると、必ず、マンションの耐用年数がどれくらいかの話になってくるのだけれども。

本によれば、マンションの耐用年数というのは、まだはっきりわかっていないとのこと。

鉄筋コンクリートの耐用年数については、現在、壮大な社会実験中であるとのことだった。

50年前の試算では100~150年とされていて、

それで1961年に制定されたマンションの区分所有法では、老朽マンションの処分に関する条項が殆ど定められていない。

住民それぞれが区分所有権を持っていて、住民の自治組織のような民主的な管理組合において

どのようにして全体として取り壊しの意思決定をして、そのときの費用負担や、責任の所在について一切法で規定されていないのだ。

大衆向けの分譲マンションの建設が一挙に進んだのは1970年前後のことである。

ということは、それらのマンション群は現在、築50年くらいになっている。

まだ、取り壊しの段階に至った歴史がないので、この問題について一定のスキームが存在していない。

ちなみに現代では、鉄筋コンクリートの耐用年数は約60年とされている。

1970年頃に東京近郊に開発された多摩ニュータウンの現在の様子のレポートをみると、非常に悲惨である。

町の住民が全員高齢化していて、年金で管理費や修繕費が支払えなくなり、管理が不全なままで

雨漏りや水漏れ、下水の逆流、通路の崩落などが起こる非常に危険な状態になっている

お金にある程度余裕のある高齢者は、我慢できずに退去して空室も目立つ。

退去した部屋には、東南アジア人など言語の通じない人たちが安い家賃に惹かれて入居してきて、

下水に揚げ物の油などをそのまま流したりして、さらに管理状態は悪化していく・・・・・

一応、多摩ニュータウンはそれでも、半ば公営住宅なところがあるので、最低限の管理は自治体が行っている

これからどんどん増えていく完全民間の分譲マンションの状態はさらにもっとひどい状況になってゆくだろう・・・

2017年末時点で築40年超のマンションは全国に72.9万戸ある。

それで、これまでマンションの建て替えという判断を下したのは274棟しかないらしい。

これはかなり稀な条件に恵まれたマンションしか建て替えということにはなっていないのである。

例えば、地価が一定レベル保たれてる広い敷地に古いマンションが建っていて

建て替えの際に、土地の一部を売却したことによって、住民全員が全く費用を負担しないで建て替えることができたケースなどだ

年金生活者が住む老朽マンションを建て替える際に、一定以上の費用負担が発生すると、全員一致で建て替えの判断をすることは困難になる

ということで、大部分のマンションは、廃墟になるまで放置されるということである・・・・・・・・・・・

それから区分所有権というものは、どこにも返納できないというのがまた恐ろしい

例えば、親が老朽マンションに住んでいて亡くなって、残された家族は子ども一人としよう。

子どもはもう既に成人して巣立っている。

遺産相続する際、親が1000万円の預貯金と、老朽マンションの区分所有権が財産として相続されてきた場合、

もう子どもは喜んで老朽マンションに戻ってくるということはない・・・・・・

1000万円の預貯金と一緒に、自分が住んでもいない老朽マンションを相続して

管理費修繕費固定資産税を年間60~100万円垂れ流し続けることになる

それが嫌なら、1000万円の遺産ごと、遺産相続全てを放棄するしかないのである・・・・・・・

今の世の中は、まだこういったところに、なんの法的手続きもスキームも存在していないのである・・・・・

日本の場合は、大衆向けの分譲マンションというものが出てきたのが1970年前後で歴史が浅いので法整備が脆弱なのである

ヨーロッパは築200年の石造りやレンガ造りのアパートなどもあるので、まだこの辺はきちんと整備されている。

これ考えると、マンションなんか怖くて買えないよなぁ。

自分の寿命まで過不足なく住居費を支払うのに適してるのは、無論、賃貸住宅ということになるよなぁ

結婚してマンションでも買えば幸せになるはずだなんて浮かれているのは、一瞬のことで。

その後、資産価値を維持するための管理組合の運営だとか、すぐに悩ましい課題がたくさん出てくるのである・・・

この本でも、老朽マンションの問題に関する抜本的な解決策は殆ど提案できていない

資産価値をなるべく下げずに長く持たせるための、区分所有法の在り方や、管理組合の規約の在り方に関する提案が殆どだ

30歳で新築マンションを買っても、現代の日本人の平均寿命は90歳くらいなので。

それに一生住もうとしても、築60年くらいまで居ることになる。

これは一生をカバーするには、ギリギリなところだよなぁ。

不動産業界をよく知っているような業界関係者は、一軒家を買うか、賃貸住宅派の人が殆どらしい・・・・・。

ましてや、眺望以外何のメリットもないタワマンを買う人なんて皆無のようだ。

タワマンは今はよく売れてるみたいだけどねぇ。

今供給されているマンションの4戸に1戸くらいはタワマンらしい。

あれがいずれ廃墟になると思うと恐ろしい。

危険極まりない。

規制緩和によって2000年代くらいから急速にタワマン建設ラッシュが起こったが・・・・・・

歴史としてはまだ20年未満といったところで

今後、取り壊しまでのスキームや費用負担や責任の所在が明確化されていないタワマンがどうなっていくのか考えると

法律を制定した国がしりぬぐいをするのだろうか・・・・・・・・・・・・

何百万棟というマンションの処分を税金でやったら、何百兆円かかるかもわからないから

まぁ・・・・・・・・・・・・放置されるんだろうねぇ

この国、ほんっとやべーーーな

ただでさえ、既に消費税40%か、年金1/4にでもしなきゃ、財政運営すらもままならない国だというのに

ほんっと末恐ろしい国だよなぁ

こんな国に子孫なんか残さないで正解だったよなぁ

負の遺産が大きすぎて、生まれてくる子供がかわいそうすぎる・・・・・・・・・・

ただでさえ、財政的幼児虐待とか言われている世間の状況だからね

輪廻転生の思想が成立するためには、まず、肉体と魂が別々に存在している必要があるけれども。

脳科学で得られている知見では、心とは脳の機能のひとつとされている。

つまり、脳の活動が停止すれば、心は消滅する。

とくに、自我とか意識といったものは、現代の脳科学においては、おそらく前頭葉に存在しているだろうというところまで段々明らかになってきている。

ロボトミー手術などによって、前頭葉の機能が破壊されると、自我がおかしくなる。

また、ヒトの気質や性格といったものは、6~7割が遺伝で決定されるとしている。

輪廻転生した場合、気質や性格も、殆ど今までの自分とは違ったものになることだろう・・・

輪廻転生しても、記憶も全く残ってないし、自分の性格や気質も6~7割が遺伝で決定されていて、それ以外の要素も生後の環境で決まってしまうというのであれば。

魂が存在して受け継がれていたとしても、全くその意味ないよね?

再度、生まれてきたら、記憶もないし、全く別人格。

何度、生まれ変わって、苦しみを繰り返そうが、また、苦しい次の人生が始まったか、、、なんてのもわからない

超朗らかな性格に生まれ変わって、人生をエンジョイできるかもしれない

また、これから何度、苦しい人生を繰り返せばいいのか・・・?というのについては、

今自分が、輪廻転生説に洗脳されなければ、感じないで済む

再度生まれ変わっても、記憶も全くないし、生まれ変わっても違う感受性を持った別人格。

それなら生まれ変わった後の自分なんか、どうでも良くない?

今の時代は、いろいろ人権とかあって、人体実験とかできないから、肉体と魂が全く別々に存在しているか、あるいは、心は脳の機能のひとつでしかないのか、

決定的な証拠が得られるような実験はそうそうできるものではないけれども

過去の精神科領域で行われていたロボトミー手術による前頭葉への施術の結果、人間がどうなったかとか

あるいは、たまたま事故で脳(前頭葉)に障害を負った人が、どのような臨床経過を経たかとか、、、、

人体実験できない中でも、いろいろな症例や研究が集まってきていて

どうやらヒトの自我や意識といったものは、脳の前頭葉の機能であることが、かなり可能性として高くなってきているんだよね

ヒトの自我や意識といったものが、脳の機能の一つでしかないということになると、死んで脳の活動が停止すれば、魂だけ抜け出すといったことはなく、そこで終わりということだよね

向精神薬、抗精神薬、あるいは、アルコールや麻薬の作用から考えるとどうなのだろう

体外から薬物などの化学物質を摂取したことによって、いわゆる「魂」の状態が変化するというのは・・・・・・・・・・

肉体と魂が全く別個に存在しているわけではないということなんじゃないだろうか

たとえば、輪廻転生が存在したとしよう・・・・・・・・・・・・・

ある人は、健全な精神状態で生まれ、しばらく生きた後、うつ病になってしばらく鬱状態で過ごした後、最終的に薬物依存で精神が荒廃して亡くなったとしよう。

どのときの魂の状態が、転生してきたときの正しい魂の状態なのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・?

何歳時点の魂が輪廻転生したときに自分に備わっているべき本当の自分の魂かもわからないよね。

乳幼児期の自分か、小学時代の自分か、思春期の自分か、壮年期の自分か、ぼけ老人のときの自分か。

人の一生涯においても、いろいろ魂の状態違うしね。

年齢によっても・・・・・「自分」というものの状態は変わる。

金持ちも貧乏人も、人間本性としてはおなじ人間だよねぇ・・・。

俺も・・・大学時代は金持ちのボンボンが汚らしいものだと思ってた。

自分の家は、浪人も留年も認められてなくて、塾も、家庭教師もつけられないで、

一発勝負で〇学部に現役合格しなきゃいけない財力しかなかったけど。

大学へ行くと、開業医の息子とかいろいろいて。

学生なのに、いい車乗って、いい服着て、上の学年から留年で落ちてくる人とかいて・・・・・・

こいつらどうなんだ?って思ってる時期があった

当時は、人間ならどんな存在でも、その感受性からして、苦痛に支配されている・・・・・・

なんて認識はなかったんだよねぇ

これまで人の幸福についても、いろいろな本を読んで検討してきていたけれども

人と比べちゃいけないとか、人の不幸を喜んではいけないとか、感謝しなさいとか、教条的な本も手に取った

でも、幅広い分野の本を読んで本質を追求していくと、どうか・・・・・・・

地位財産名誉成功栄光栄華勝利といったものは、他者との相対的立ち位置で決まってくる相対幸福なんだよね。

生存競争の色彩がある。

そういった部分については、「他人の不幸は蜜の味」とする脳回路が

実際に人間に備わっていることが脳科学的に明らかになっている。

俺も、いろいろ妬みに晒されたことはある。

おまえは俺らとは違って、いい仕事ついてカネも持ってるんだから、おまえに限っては周囲に人一倍感謝すべきだ、

みたいなエモハラとか受けたことがある

でも、それを言ったら、みんなそうなんじゃないかと思うのである

サハラ以南のアフリカでは年端もいかない少女が、今日今その場食べるものがなく、

荒野で餓死して、ハゲワシに食われていく・・・・・

そういう生活が特殊でみじめなのだろうか?

俺はそうは思わない、、、、そういう生活は・・・

むしろ人類が何万年間、何十万年間晒され続けてきた本来の姿なのではないかって気がするのである

資本主義社会の発展によって、わずかここ200~300年間の間に飢餓を克服した我々の方がむしろ特殊なのである

そしてその特殊な社会にいる日本人は、20代が50年先の老後の安全・安心を確保できるかどうか本気で心配して、

対策に奔走しているのである・・・・・・・・・・・

たまたま偶然にも日本に生まれた日本人というだけで、フリーターやニートも含めて、極端に豊かな人たちなのである

自分も金持ちのくせして、他人がもっと持ってるのが気に入らない・・・・・所詮その程度の話なのである

人間の感受性は、どうあがこうが、幸福は蜃気楼のように一瞬しか感じられないのに対し、

苦痛には持続的に永遠に支配され続けるような生化学システムに始めからなっている。

どれだけ他人より有利な立場になろうが、常に苦痛だから、その苦痛から逃れられない不満や不安は常に感じ続けるし、

永遠に不満しかないような存在なのである・・・・・・・・・

あの記述が気になった

イスラエル人マクロ歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書、ホモデウスにこんなような記述があった

いわく

太古の昔に木の実ひとつを食べて永続する至福を得ることができるリスが突然変異によって誕生していたとしたら

そのリスは、一度食事したきり、もう二度と食事をすることはなく、交尾相手をみつけることもなく

その遺伝子が後世に受け継がれることはなかった

しかし、競争相手の他のリスは5分に1回木の実を欲しがって食べ、栄養をつけることによって、

交尾相手を探し、そういった貪欲な個体が、後世に遺伝子を受け継いでいった・・・・・

われわれ人間もこれとまったく同じで、いくら実入りの良い仕事、器量よしの伴侶を手に入れようが、

大きな家に住もうが、長く満足していられることは稀である・・・・・・・・・。

この生物学的観点からみた、人間本性に対する鋭い洞察に感銘を受けたのである

人間の本質、正体を延々と探っていくと、金持ちも貧乏人も、おなじ人間であるとしか思わない

きたないとかきれいとかない

金持ちも貧乏人も、生物学的にヒトの性質を備えたヒトである、、、ということにしかならない

弱者大衆に限って善良な市民で、金持ちだけがみんな悪人なのではなく、、、

善悪といったら、人間存在みんな邪悪な存在だろう

大人になっても、優秀になることはいいことだと思っている人がいる。

自分の子供を進学校に入れることができたら、同僚たちは、出来のいい息子さんですごいですね

と、褒めてくれるべきと考えている人もいる。

どうなのだろう・・・・・・・・・・・・。

自分も学生時代は、自分の成績がいいと、親と教師は認めてくれていた。

ライバルは足は引っ張ってこなかったが、俺が大学受験に合格して、ライバルが浪人となったときには。

ライバルは暗くなっていた。

大学卒業後、入社2年目くらいまでは・・・自分が優秀な存在になることが、世間一般論として、いいことだと勘違いしていた。

でも、真実は・・・・・・・・・・・そうではなかったのである。

そもそも・・・・・・・・

地位財産名誉成功栄光栄華勝利・・・・

といったものは、他者との相対的な立ち位置で決まってくるものである。

いわば、椅子取りゲームなのである。

誰かが椅子を奪えば、誰かが座れなくなる・・・・・・・・・・・。

そこには生存競争の色彩がある。

相対的な立場を縮小させるには、自分がのし上がるか、他人を引きずりおろすか、その要素できまる。

そういった物事に関しては、人間は「他人の不幸は蜜の味」と認識する脳回路が働きやすい。

そういう脳回路は実際にヒトという生物に存在している。

自分や自分の子どもが、地位財産名誉成功栄光栄華勝利を獲得して喜んでくれる他者というと

冷静に考えれば、それによって直接的な利益を享受する者くらいにしか、本心では祝福され得ないのである。

たとえば、自分の地位財産を狙っている女だとか、あるいは、妻。

子どもは大して理解できないだろう。

あるいは、自分の子供が、いい進路に行くことは、

親にとっては自分の遺伝子を後世に保存していく上で有益であると考えれば、親にとっても喜ばしいことである。

まぁ・・・・・・・・・・言ってみれば、子供の成功を本気で祝福できるような存在は、肉親くらいしかいないのである。

まぁ、肉親に妬まれるような俺みたいな人もいるけど。

そうやって考えれば、他人の子供が進学校に入ることなんて、他の人は全然無関心か、

あるいは、同じくらいの年齢の子どもを持つ同じくらいの立場で仕事しているような親にとってはむしろ妬みの対象になるのだろう。

嫌がらせを受ける原因にもなりえる。

人間は、自分と同じくらいの社会クラスにいる人が、抜け駆けのようなことをしたり、甘い蜜を吸っているときに、強烈な嫉妬を感じる傾向にある。

自分がいくら努力しても全く手の届かないような・・・・ビルゲイツのような存在には嫉妬しない。

人間をよく観察して分析すること。

この日本人社会において、自分が妬まれるのは不当なことなのか、当たり前のことなのか・・・・・

そこを正確に割り出すには、人間や社会に関する深い教養が必要になる。

教師と仲良くなった優秀な学生が、就職祝いに先生からある中国古典をプレゼントされたなんて話を聞いたことがある。

「菜根譚」という洪自誠という人の作品である。

この「菜根譚」は中庸の思想を説いている。

常に高く歩もうとする者は、早くつまづき倒れる、、、みたいなことや。

早く咲いた花は枯れるのも早いとか。

急ぎすぎず、焦りすぎず、逸脱しすぎないこと・・・・・社会に出ると、処世訓的にはこっちのほうが重要なのだろう。

猛烈な受験戦争に勝ち残るような、優秀な人でも、それと同じスタンスで、社会で泳ごうとしてもうまくいかないケースが多い。

俺は、なんにでも、感化されにくいところがある。

職場の人たちや仲間たちが、さも自分たちの主張が正当であるかのように口をそろえて主張していることでも。

俺は全然、疑問に感じることがある。

この前、職場の人と話していて疑問に感じたのは。

政府による年金資金の運用損の話と、公務員がいっぱい年金をもらえることに対する不満の話だ。

年金の運用については・・・・自分はどう思っているかというと。

基本的に、資本主義社会のシステム下においては、

国民が積み立てた莫大な年金資金を、将来にわたって、そのままの状態で退蔵しておくことはできない。

拡大再生産のために、今、どこかに投資しなければならないのである。

従来は、その大部分を政府は円建ての日本国債で運用していた。

国の財政状況が安定していれば、元本は保証されるし、金利も一定レベルつく、安定した運用先だった。

しかし、近年は、国の財政状況は、慢性的な税収不足と社会保障関係費の累増によって極端に悪化している一方で、

日銀による日本国債の大量購入によって超低金利時代となり、国債は安全な資産運用先ではもうなくなった。

ということで、数年前に日本の年金基金(GPIF)は運用先を株式に大幅に転換した。

GPIFは世界の機関投資家の中でも、資産額でいえば世界1~2位を争う巨大な資金である。

陰謀論なんてどこ吹く風・・・経済を牛耳っている最も大きな機関投資家の一つが、日本国民の積み立てる年金資金なのである。

当初は、アベノミクスの株価上昇によって、GPIFは何十兆円もの運用益を出していたのだ。

しかし、国民は、そのニュースに感動して、GPIFや安倍政権に感謝するといったことはなかった。

俺らの給料は全然増えない上に、庶民のなけなしの預貯金の金利は全くあがらない・・・・・・

なのに株高によって資産家階級の資産だけがべらぼうに膨らんで、頭に来る!

格差社会によって俺らは虐げられるだけだ!、金持ち優遇反対!なんて国民は言っていたのだ。

かといって株価が低下して、GPIFが年金の運用損を抱えればどうか・・・・・・・・・

それはそれで日本国民からは怨嗟の声があがる。

他人のカネだと思ってテキトーに運用しやがって・・・・・・・・とか。

株価が下がれば、年金の運用損で国民は政府を批判し、株価があがれば金持ちばかり資産を膨らませてるとかで不満を溜める・・・・

一体、なんなのだろう・・・・・・・・どうすれば国民は満足なのだろう・・・・・・・・・・

そこがよく俺にはわからないのである

あと、公務員の年金が高いことの批判も、俺は全くわからない

公務員の人は受け取る年金も高いけれども、それだけ多くの積み立てを現役時代にしているだけの話でしかない

人間って妬みの感情に囚われると、事実関係なんかなんも見えなくなっちゃうから、どうしようもないよね

 

そういえば、先輩が言っていたけど。

私立中学とかに行っている人って。

むしろ親同士の戦いになってるって言ってたなぁ。

 

あと、自分と同じ苦痛を子供に体験させたくない、という思いについて、どうも違うんじゃないかって先輩が指摘していた

人生、どうあがこうが・・・・

幸福は一瞬の蜃気楼で、大部分、苦しみしかないのであれば。

わが子の人生はこうすれば幸福になるはずだ!

ということで、あらゆる行動を要求するのはやめるべきなのだろうか。

子どもが、自分の発達段階において、自分でテーマをみつけ、

自分で取り組んで、自分で何かをしていくのを遠くで見守る・・・・・・

時には近くで寄り添う・・・・・・

そういうもんなのかなぁ・・・・・・・・・・・

自分を接客したキャバ嬢は父親が慶応大学卒の会社経営者で

娘を絶対に幸せにしてみせる!ということで取り組んだのが、

娘を外交員にさせるための、私立幼稚園お受験から始まる一連の苦行の強要だった。

最終的には、我慢しきれずに中学時代にグレて悪になったとのことだった

そういう自分を、他の人が、親が丁寧にレールまで敷いてくれたのに、それすらも実現できなかったのか?

という批判とかを浴びて傷ついている様子だった

いろいろな問題がこのテーマに込められている

そもそもこうなれば絶対に幸せになるといったような立場がこの世に存在しえるのか・・・・?

むしろ、人間の感受性の問題で、どうなろうが人間は常に苦痛なのではないかという問題と

その自分が見出した幸せを他人に追求することを強要してしまうことの問題

そしてその希望通りにできなかった相手を悔んだりあるいは出来損ないだと罵ったり、あるいは批判したり・・・

いずれもおかしいことになってくるけれども

どうあがこうが人生は幸福は蜃気楼のように一瞬で消え、どうあがこうが人生は苦痛なのであれば

その人の人生なんてその人が選んだ道を歩めばいいのかもしれないが・・・他人がなんと言おうと

でも、地位財のある親が子育てをするときに、こういうのってごくフツーに陥りやすいように思える

息子娘には自分と同等かそれ以上の生存環境で生きさせてあげたい・・・・という親心である

自分が慶応大卒なら、息子娘には東大卒を要求して猛烈な悪戦苦闘努力を強いるのでしんどいだろう・・・・・

自分が中卒なら、息子娘にはどこでもいいからとりあえず、高卒大卒くらいでOK・・・

ということであれば、人間が同じ本質を持っていたとしてもあまり波風たたないが・・・・・

〇〇という資格職でも同様のことを考えている親は多い

大学時代の仲間と会うと、俺以外の人は子どもがいるのだけれども

みんなある程度気にしていたのが、学費が高騰した〇〇学部の学費のことであった・・・・・・・・

〇〇の子どもを再生産する意思が一定レベル、仲間に観察されるのである・・・・・・・・
 

〇〇くらいになると、そんなにすごい立場なわけでもないが、

受験戦争の苦痛によって、うつ病になったり、自殺したり、親を殺したり・・・

なんて家庭が一定レベル生じてもおかしくないくらい、苦しい体験をした人もいるかもしれない

個人の適性や能力を超えてあれこれ無理を強要されれば、どんな立場でもそうなりえるが

個人の適性や能力にはかなりの個人差があるからなぁ

江戸時代の子育てとかはどうだったのかなぁ

こんなにお子様のことであれこれ悩んだろうか・・・・・・・?

農民の子は農民になることが決まってたようなもんだし

家族なんて、死なない程度に、飯食わして、テキトーにコミュニケーション取ってればいい・・・・・

そういうスタンスでも自然に育つのかもしれない

それは生物学者池田清彦氏の「がんばらない生き方」であった

それで自分の子ども3人は健全に育ったと言っていた

どんな育ち方を彼が健全と定義しているかもよくわからないが

生物として逸脱しない範囲の育ち方ならOKということであれば、

子どもが非正規労働者になっても、自分で餌取って自分で生活できるようになれば、もう一人前だからね

ムリに「幸福」なんていう観点に囚われて、ムリな悪戦苦闘努力をしたり、あるいはさせたりすることが、

かえって人間に致命的なダメージを及ぼす場合もあるのかもしれない

うーーーーーーーーーーーーん

俺も、自分の育ちからして一定の洗脳にはこれまでかかってきたわけだけど

教養をつけることによって、違った生き方もOKなのではないかと思えるようになってきた

これである程度、わかってきた・・・・。

1990年代以降、日本人の給与の平均値は下がっていないのに、中央値や最頻値がかなり低下してきている背景・・・。

分布曲線がどのようになってきているのか・・・・とか。

誰でも出来る流動的単純労働をしている人の賃金はみんな下がる。

その人にしかできないオリジナルな仕事で企業に貢献している人の給与は・・・・・・

他企業に奪われないように、高い報酬で引き留める・・・・・・・

その結果として、平均賃金があまり変動することなく、貧富の格差が拡大する結果になっている

しかし、このまま社会が推移するとどうなるか・・・・・・・・・・・

中長期的には、大多数の庶民の賃金が低下することで購買力が低下し、内需が落ち込むといったことになる。

すると、さらに企業間の生存競争が激化し、益々、優秀な社員の争奪戦は過激化し、益々、社会の状況は殺伐としていく・・・・

その時、為替がどうなっているかは・・・・わからないけれども

国際競争力が低下して、安価なサービスを大量生産しなければ生き残れなくなれば、それを求めた世界の人が買うかもしれない

まぁ・・・・・・市場原理がどう機能するのかというのもしっかり事例研究しておかなければわからないことだが

たとえば、日本が急速に発展して金持ちになって円高になった際には、

外国から出稼ぎ労働者がたくさん来て、生産活動に従事していたが・・・・

そして稼ぎを祖国に仕送りすることで為替が円安になる方向へ調整された

他方、日本が急速に衰退して貧乏になって円安になったら

外国からの出稼ぎ労働者は全く来なくなるかもしれないが、

外国人旅行者が増えて日本にカネを落とすようになる

すると、為替は円高になる方向へ調整される・・・・・・・・・

市場原理も悪い側面ばかりというわけでもないのだけれども

どん底になったら永遠に這い上がれないという原理なわけでもないからねぇ

うーーーーーーーーーーーーん

どうなっているんだろうなぁ

 

格差社会が進行していく背景・・・・・・・・・・・・・・

なんなんだろう・・・・・・・・・・・・・・

誰かが悪意を持ってやっているわけではないように感じる・・・・・・・・

そもそも、消費者がより安い財やサービスを強烈に要求している・・・・・・・・・

ということは、財やサービスを生産する側は常に合理化・効率化していかなければならなくなる・・・・・・

生産設備やシステムの合理化・効率化だけでなく人件費の抑制も含めて・・・・・・・・・・・

生産設備やシステムの合理化・効率化によって、

機械に原材料を投入するだけとか、機械を管理するだけの単純労働になったらどうなるか

その流動的単純労働に高い人件費をかけることはなくなる・・・・・・・・

誰でもできる流動的単純労働に高額の賃金を保証する企業は、、、競争に敗れて淘汰されてしまう・・・・・

他方、機械にできない一部の人にしかできない能力を持った労働力はどうなるか・・・・?

企業は彼らを自社に引き留めておくために、高額の報酬を支払わなければならなくなる・・・・・・・・・

これは単純に仕事をこなすスピードが早いとかいう人材のことではない

他の人の倍仕事をこなす人は、せいぜい倍の報酬くらいまでしか出せないだろうが

もっと高額の報酬で世の中を渡り歩くような人材は、

大衆が何人束になっても持ちえないようなオリジナルの能力を持っているのである・・・・・・・・

そういう人が、他の企業に逃げないように捕まえておくためには、かなりの高額の報酬を用意しなければならなくなる

そういう力学によって

全体の賃金コストが同じ箱のまま、極端に低賃金な人と、極端な高額報酬を得る人が出てくる・・・・・

ということなのではないだろうか

人件費を抑制すべきなら、全員抑制すべきだし、賃金をあげるなら全員あげるべき・・・・・・・・・

これは低賃金の人が思う論理であるが、、、、、

高賃金の人は、がんばって成果を出したらその分の報酬は自分に欲しいし、

くれないならくれる会社に転職しようと考える

そして企業としてはどうか・・・・・・・

優秀な人材を他企業に引き抜かれたらこの会社が終わってしまうと思えば

優秀な社員からの交渉や取引に応じて、彼らの賃金を引き上げる・・・・・・・・・・・・・

市場原理なんだよねぇ

あれだよねぇ、、、、、政府としてどこまでそれに介入できるかということだよね

国全体で平等に取り組むと外国に人材を引き抜かれる

国全体で市場原理を導入すると国内の貧富の格差が拡大する

うーーーーーーーーーーーん、その絶妙な力学の上にバランスして、個人の賃金が決定される・・・・・・・

なんなんだろうねぇ

どうなってるんだろうねぇ

人間は、世の中は、社会は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

んーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

本を読んでいたら、気になる記述があった。

+++++

授業からの落ちこぼれは、社会人としての落ちこぼれには直結しません。

勉強ができなくて、健全な社会人になれないということはない。

ところが、休み時間の落ちこぼれは深刻です。

社会人としての落ちこぼれに直結します。

+++++

これは小学生とか児童期の話なんだよね。

子どもが、エリート職に就けるか就けないかしか考えてない親や教師は、

子どもが勉強ができるかできないかしか見ていない傾向がある・・・・・・・

でも、どの社会階層、どの職業クラスにおいても、必ず、落ちこぼれる人がいる

これはこの時期に社会性をしっかり養えなかったことが原因になっているとする説である

これは、友達とよく遊んで、その中で、道具を与えあったり、知識や知恵を出し合ったり、しながら

それを子ども同士で楽しみつつ、行えてきたかどうか・・・・?というようなことらしい

社会においてどのような機能を担う役割になるかは、その子供の能力や特性によってさまざまであるが、

それぞれがそれぞれの場所において、落ちこぼれずにできるかどうかは、

学業成績ではなく、休み時間の中で培うものらしい・・・・・・・・・・・

思い出してみれば、自分の小学校教師・・・・

5~6年制の頃の担任は、子供たちの休み時間の過ごし方に介入していた

休み時間は、外に出てみんなでドッジボールや、キャッチボールなどの集団競技をやることが強制されていたのである

ただ、子供に休み時間の過ごし方を強制したところで、社会性が養えるかというとわからないが・・・・・

それでも遺伝的に内向的なヒトは内向的だろうし、絵を描いて遊びたい人もいるだろう・・・・・

自閉症と診断された人に関しては、鬼ごっこやおいかけっこは・・・いくら強制されてもできないので

やらせる方が問題が出るとして、現代の児童心理学においても、そういう状況の人は社会性を養うことは求められないのだけど

そういう人は周囲が配慮して、社会性のない人の特性を生かすようなマネージメントが必要であるとしている

そうだなぁ・・・・・・・・どうなんだろうなぁ・・・・・・・・・・・・・・

著者が言っているのは、最近の若者の傾向である・・・・・・・・・・・・・

親に勉強しろ、勉強しろ・・・・そればかり言われて机上の勉強に取り組んで、

息抜きにひとりでTVゲームとかして過ごした子どもは・・・・・・・・・・

社会に出ると対人面に問題を抱えてすぐに会社を辞めやすいといったことを書いている

しかも、どの会社にも居場所がなく、すべての会社の何々がいけなかったということで、それを繰り返すらしい

そうなのかぁ

なんの知識もない大人が、固執する傾向にあるのは、子供の職業の社会的階層だよね・・・・・・・・・

それも要素として無視できるものではないのだけれども

肌身で感じる実感としては、稼げない仕事の男性のかなりの割合の人が結婚できないということを知っているから

それだけを見て、遺伝子リレーゲームを子どもに課すとき、どういった教育をするかというと

立派な職業に着けさせるために親が躍起になって子どもを競争させる・・・・・といったことになる

児童期からのそういった教育によって、子どもの社会性が失われる・・・・ということらしい

なんなんだろうね、、、、、、、、、、

人間って、ああすれば、こうなるはず、こうすれば、ああなっちゃう的な考えで

答えを常に探し、自分とその子供だけは失敗しないように・・・・・なんて考えがちだが・・・・・・・

昨日、暇な時間に、先輩といろいろ話していたら

「人間の営みや、世の中に答えを求めちゃいけない・・・・」

仙人のようなことを言っていた

政治家を恨む・・・とは・・・?

最近、政治家を恨むというのがわからなくなってきた。

たとえば、今のような世の中の流れになる決定的な転換点は・・・・

日本では1998年くらいにまでさかのぼる。

この年は、日本においては、金融危機をきっかけに構造調整が本格的に始まった年である。

欧米では、このような動きは、日本よりも10年位前に始まっていた。

どういう社会の変化かというと

これまで・・・・製造業を主体として、終身雇用制・年功序列賃金のもと、

企業に時間をかけて育てられた熟練労働者が長時間労働して社会を支え、

またそのような労働力が長期の展望のもと専業主婦と子どもを養い、家庭を運営してきていたが

1990年代に入って、社会のIT化、オートメーション化が進んだことにより

熟練労働が減少し、機械に原材料を投入したり、あるいは機械を管理するといった単純労働が増えていった。

それによって誰でもできる流動的単純労働に対して高額の給与を企業は与えようとしなくなり

企業は労働市場の規制を撤廃させ、非正規雇用化を促す方向へと社会は変化した・・・・・

それは必然的な流れとして生じた・・・・・

そもそも、人々が消費者の立場では絶えずより安い商品やサービスを求め続けるからである

それによって企業側には常にコスト削減圧力がかかり、生産現場の効率化・合理化だけでなく、

それは人件費を下げる方向でも調整が進むのである。

この動きに拍車をかけたのが、市場のグローバル化である。

消費者の立場では、地球上のあらゆるところで供給される財やサービスをより安価に利用できるようになった反面、

通貨の高い人件費の高い先進諸国から、通貨と労働力の安い途上国へと生産現場を移す方向へ、企業が動き始めた。

大企業の工場など生産現場がどんどん海外へ移転して、それに伴って資本が海外へ逃避し、空洞化現象が起こり、国内経済の成長がかなり鈍化した時期があった。

こういった世の中の変化が急速に起こり始めたのが、

日本では1998年頃のことで、この頃に、日本の自殺者数は1年で約8000人増加してその後もしばらく高止まりする結果になった。

翌年から、非正規労働者が増え始めた。

この時の政権は、小渕内閣か橋本内閣の頃であって、当時はまだ政府は「構造改革」なんて意識していないときに

民間レベルで世界規模にそのような動きが加速していたのである・・・・・・・・・・

構造改革を旗印にした政策が日本で運営されるようになったのは、それから10年後くらいだろうか・・・・・?

ということは、格差社会の進行とかに関して、過度に政府に恨みを募らせるようなものなのか・・・・

ワカラナくなってくるのである。

日本国内だけで起こっている特殊な現象というわけでもないからねぇ

どうなんだろう・・・・・・・

お金の獲得=幸福 では決してないが、

努力の成果をお金で見返りを求めるのであれば、いくらがんばっても給料が同じじゃ、誰も頑張りたくなくなるだろう

それは現代において、東大の学生に、官僚になりたがる人がかなり減っていることもそのひとつだろう。

官僚の平均賃金なんて精々、700~800万円くらいなのではないだろうか

それだったら、平均年収2000万円の外資系のコンサルにでもなったほうが、マシだ・・・的な思考が働いていもおかしくない

カネと労働環境を考慮したらね・・・・官僚は残業も月100時間とかだからね。

公務員はどんな仕事に就こうが、妬まれるほど稼いでいない。

内閣総理大臣や事務次官、最高裁判所長官の年収やボーナスが、庶民よりずっと高いのは、当たり前のことである。

1億2千万人の国民のうち、数名とか数十名しか担えない仕事をしているのだから、その辺の一般大衆と違うのは当然である

しかし、孫正義とか、前沢氏とか、そういう民間企業で成功するような人は、その辺のエリート公務員よりも何百倍、何千倍の稼ぎや資産がある。

しかし、人々が実際に肌で感じることのできる幸福感は

年収50万円のアルバイターと2000万円の事務次官で20%も違わないのではないだろうか・・・・

それ以上稼げばどうか・・・・・稼げば稼ぐほど年収上昇による幸福度上昇はさらに頭打ちになる

所得階層別幸福度は別の時に紹介したと思うのでここでは割愛するが

どうなってるんだろうねぇ・・・・・・・・・・・・

世の中はねぇ・・・・・・・・・・・・・・

消費者あるいは労働者としての、人間本来の欲求が市場のニーズを形成し、それによって社会全体の胎動が起こる・・・・

決して、政治家が勝手に独断で世の中を操っているわけでもないのである

テロなどによる攻撃は、シンボルを標的にすることはあるが・・・・経済の象徴とか権力の象徴とか・・・・・

でも、それはあくまでシンボルであって、実際は、世の中は人間全体のサガによって動いている・・・・・・

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん

なんなんだろうねぇ

自分が政治に不満があるとすれば、国の財政問題くらいだ・・・・・・・・俺が結婚を諦めた理由がそれだからまだ引っかかってる。

でも、これに関して政治家は恨んでいない。

実際は、増税や社会保障のカットに反対する大多数の国民が、彼らの利益を代弁する政治家を擁立して財政問題の解決に取り組んでいないだけだからだ

民主主義国家なので、票と、献金、が政治を動かすわけで

莫大で強固な組織票と献金を行う支援団体の利益のために、彼らが政治家を擁立してその団体の利益を実現するために政治家が動く

というのは民主主義社会の根本的な原理である・・・・・・・・・・・・・

民主主義国家は、票、献金、数の力で、圧力をかけあって、政策議論でなく、政局によって方針が決まるのである

ということは、少数派の人は、暴政を振るう独裁者の下にいる頃と、全く変わらないような政治的抑圧を常に感じることになる

民主主義は、最大多数の最大幸福論というものもあったくらいだから、やっぱり数が正義なのである・・・・・・

ということは、世の中や、政治に関しては、誰かを恨んだところで、どうしようもないのかもしれない

もう、ぜんぶ諦めて、テキトーに、生きてるしかないな

飯くって、クソして、寝て、酒でも飲んで、あとはなるようにしかならない

また、今後もちょっと探っていこうかなと思っているテーマとしては

国の財政問題というものも、日本だけに特徴的なものともいえなくなってきている・・・・・・ということだ

アメリカやEUなどについても、同様の動きがみられるようになってきた・・・・・・・・・・・・

もっとも、文明段階の違いもある

日本は、戦後になって急速に成長したので、ピークアウトすれば、衰亡も急速になるのではないかと思うが

アメリカや欧州の発展の歴史はもっと長い・・・・・・・・・・・・

文明サイクルの問題だとしたら、

政策をどういじるべきとか、どうすればどうなるって話でもなんでもなくなるので

もう、単なる運命として、なるようにしかならない、、、、、

自分が何やってもしょうがない、他人に何を求めてもしょうがない

努力しようがしまいが、結果同じなら、もうなにもしない、、、、、、そんなことになるのだろうか