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原元美紀の女子アナワークショップ


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久米宏さんは私の原点でした

久米宏さんの訃報に接し、言葉を失いました。

 

1985年10月に放送が始まったニュースステーションは、

私がアナウンサーを志す原点です。

 

 

当時、「ニュースとは正確な情報を、淡々と伝えるもの」という価値観が

当たり前でした。

そんな時代に突然、「中学生でもわかるニュース」というコンセプトで

革命を起越したのです。

しかも平日夜10時!

 

メインキャスター自ら「僕は単なる司会者なんで」と語り、

「僕もこのニュース、正直よく分からないんですけど」と、

視聴者と同じ目線で疑問を口にする。その姿に面くらいました。

 

予定調和がなく、毎晩どこかハラハラする。

政治家にも遠慮なく切り込み、「失礼だな!」と叱られても、

「いや、だって僕、分からないんで」と、からかうように引かない。

そのやり取りの中で、

久米さんが常に

「政治が分からない普通の視聴者」を背負っていることを感じていました。

 

高校生だった私にとって、

難解な政治や社会と自分との間に立ち、

橋を架けてくれる存在。それが久米宏さんでした。

 

そして、名物コーナー「金曜チェック」が、私の人生を大きく変えたのです。

 

手書きのフリップや模型を使い、

日本の「おかしな常識」や「無駄な慣習」を独自の視点で切り取る、

番組の象徴ともいえる企画です。

 

「日本の常識は世界の非常識」。

そんな言葉とともに、欧米の合理的な社会システムを紹介し、

日本社会に問いを投げかけ続けていました。

 

例えば、公衆電話やトイレの行列を一本化する「フォーク式」。

当時、公衆電話でもトイレでも、個室ごとに行列ができていました。

「向こうの列の方が早い」とイライラしたり、

「早くしろ!」と喧嘩になりながら並ぶのが普通でした。

でも「欧米では1列に並んで空いたところから入る『フォーク式』なんです。

その方が公平で早い」と番組で大々的に提唱し、

実際にスーパーなどで実験を行っていました。

 

また、エスカレーターの片側空け。

「ロンドンなどでは片側を空けて急ぐ人を通すのがマナー」

と紹介しました。

日本はバブル期突入で「24時間働けますか」というCMのコピーが

流行るほど

みんなが急いでいた時代にこのキャンペーンはハマりました。

(現在は安全上の理由から「歩かずに2列で立ち止まって乗ろう」

というキャンペーンが行われています)

 

今では当たり前となった習慣の多くが、このコーナーをきっかけに、

わずか一週間ほどで全国へと広がっていったのです。

 

その頃の私は、

学校教育の閉鎖的な問題に立ち向かおうと教師を目指していました。

しかしその影響力を目の当たりにし、気づいたのです。

自分が1クラス40人を受け持っても、10年で400人。

でもテレビなら、たった一晩で1,000万人に問いを投げかけられる。

 

テレビで話す人になりたい。
自分の言葉で、世の中を少しでも良くしたい。
それが、私がアナウンサーを志した原点となりました。

 

時が流れ、久米さんは「ニュースステーション」が

18年半の幕を下ろしても

ラジオの場へ軸足を移し最前線に立ち続けていらっしゃいました。

2011年、東日本大震災の際、

久米さんが2億円を寄付されたと報じられました。

その行為について多くを語らず、

静かに背中で示す姿勢はやはり変わりませんでした。

 

実は私自身、被災地支援としてチャリティ歌声喫茶の活動を始める際、

その姿が心の支えの一つとなっていました。

アナウンサーとなって34年。

壁にぶつかるたび、初心に立ち返り、ここまで歩んできました。

私にとっての初心は、久米宏さん、あなたの姿です。

 

心からの感謝を込めて、哀悼の意を表します。

 

 

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